牧氏事件 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


注意●ネタバレあり
◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

源頼朝没後に起こる出来事は
結局どれも同じような権力闘争なのに
それぞれの呼び方に違いがあるのが
めんどくさいです
(もしかしたら適当でも良いのかもw)

○正治元年(1201)10月〜翌2年(1202)1月
■梶原景時の変
○建仁3年(1203)9月2日
■比企能員の変(比企氏の乱)
○元久2年(1205)6月22日
■畠山重忠の乱



畠山重忠〈中川大志〉


三谷ワールドでは
畠山討伐のきっかけを
北条政範毒殺事件としました

これは僕も
昔から考えていたことなので
賛同します

真の犯人については少々異論があります

今やってるのは
畠山討伐直後の話なわけです

○元久2年(1205)閏7月
■牧氏事件(牧氏の変ともいわれる)


とりあえず おさらいしておきます


北条時政〈坂東彌十郎〉

りく(牧の方)〈宮沢りえ〉

源実朝〈柿澤勇人〉

平賀朝雅〈山中崇〉


元久2年閏7月19日

時政と牧の方が実朝を廃して

頼朝の猶子で京都守護として京に滞在していた

平賀朝雅を

新たな鎌倉殿として擁立しようとしている

との噂が流れました


あまりにも強硬な策は

尼御台政子、義時の反感を招きます


尼御台政子〈小池栄子〉

北条義時〈小栗旬〉


政子は、

長沼宗政、結城朝光、三浦義村、三浦胤義らを

遣わして

時政邸にいた実朝を義時邸に招き入れます

時政側についていた御家人の大半も

実朝を擁する政子、義時に味方したため

陰謀は完全に失敗しました


長沼宗政〈清水伸〉

結城朝光〈髙橋侃〉

三浦義村〈山本耕史〉

三浦胤義〈岸田タクヤ〉


時政本人は外孫である実朝殺害には消極的で、

その殺害に積極的だったのは牧の方であった

との見解もあります


『愚管抄』の作者とされる慈円〈山寺宏一〉


『愚管抄』では

事件の首謀者を一貫して時政としており

『吾妻鏡』では

北条氏の祖である時政を擁護するために

牧の方を事実以上の悪役に仕立てている

とする見解もあります


幕府内で完全に孤立無縁となった

時政と牧の方は出家し、

翌20日には鎌倉から追放され

伊豆国北条へ隠居させられることになります