相馬御厨 | 芳村直樹のブログ

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◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

さてほて
千葉常胤、上総広常を
調べる前に
相馬御厨のことを
勉強してみます

■御厨(みくりや)
中世日本において
皇室、神宮、賀茂神社などの有力神社が
全国各地に荘園(神領)を持ちました
これを「御厨」と呼びます
鎌倉時代には五百余箇所あったそうです
御厨では、たびたび
武士団による 略奪・押領が起こりました
関東の相馬御厨や大庭御厨の
源義朝の濫行は有名らしいです

■相馬御厨(そうまみくりや)
相馬御厨は伊勢神宮の荘園です
現在の茨城県取手市、守谷市、
千葉県柏市、流山市、我孫子市
あたりにあったようです

12世紀「相馬御厨」とその周辺


○天治元年(1124)
千葉常重は
叔父の常晴から相馬郡を譲られ
相馬郡司となります
○大治5年(1130)
常重は
自らが地頭職を務める
相馬郡の土地を
伊勢神宮に寄進し
その下司職となります

○保延2年(1136)
下総守の藤原親通が
千葉常重を逮捕監禁するという事件が起きます
理由は、相馬郡の公田からの官物が
国庫に納入されていなかったとのこと
藤原親通は
相馬郷・立花郷を私領にしてしまいます
○康治2年(1143)には
上総常澄からの依頼で
源義朝が介入してきます
常重から相馬郡の圧状を取り
義朝は避状提出の形で神宮に寄進します

○久安2年(1146)
常重の子・千葉常胤は
必死に立ち向かい
相馬郡司職の地位を回復しました
相馬郷を取り戻し
あらためて伊勢神宮に寄進しました

平家政権下
○永暦2年(1161)
常陸国の有力豪族・佐竹義宗が
相馬御厨を寄進しました
前下総守藤原親通の次男親盛が持つ証文を
奪い取ったものでした
千葉常胤は証文の無効を訴えましたが
佐竹側の勝訴が確定
強引に相馬御厨全域を支配しました

○治承4年(1180)
源頼朝の挙兵に
千葉常胤、上総介広常が加担したのは
自領復活のための賭けだったと考えられます