注意●ネタバレあり
◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
第6回に登場する人物の予習
千葉常胤の前に
ちょっとだけ
その父親・常重の補足
○大治元年(1126)6月1日
千葉常重は
平忠常より代々続いた大椎城から
新たに築いた千葉城(亥鼻城)に拠点を移し
千葉氏の基礎を固めました
千葉市はこの日を
「千葉開府の日」と定めているそうです
それではお待たせしました
★千葉常胤(ちばつねたね)
3年前
平成30年(2019)は
千葉常胤生誕900年だったそうで
千葉市のホームページを覗くと
短編アニメまで作られていました
(僕は901年だと思いますけどw)
千葉常胤の生涯をまとめます
○天永元年(1118)5月24日
誕生
父は 下総権介・相馬郡司 千葉常重
母は 大掾氏庶流 鹿島政幹の娘?
○長承4年(1135)
家督を相続(18歳)
○久安2年(1146)
相馬郡の支配権を取り戻します
○保元元年(1156)
保元の乱では源義朝に従います
○永暦元年(1160)
平治の乱で源氏が敗れると
相馬御厨支配権を佐竹氏に奪われます
○治承4年(1180)
石橋山に敗れた源頼朝の要請に応え
常胤は一族300騎を率いて参陣
鎌倉の都市づくりにも参画したようです
富士川の戦いの後には、佐竹氏討伐を進言
相馬御厨の支配権を取り戻しています
千葉常胤騎馬像 画像はWikipediaより借用
その後の常胤
○元暦元年(1184)
平家追討のため源範頼に従い西国へ出陣
○文治3年(1187)
洛中警護のため上洛
○文治5年(1189)
東海道大将として奥州合戦で活躍
○建久元年(1190)
頼朝の上洛に同行
○建仁元年(1201)3月24日
死去 享年84
鎌倉散歩をする中で
相馬師常の墓を
お参りしたことがあります
師常は千葉常胤の次男だそうです
師常墓の周辺には
いくつかのやぐら群がありました
もしかしたら、それらの中に
千葉常胤の供養塔もあるかもしれませんねー
千葉常胤〈岡本信人〉
源頼朝の挙兵時には
常胤すでに63歳
かなりの高齢にもかかわらず
鎌倉幕府成立に大きく貢献
筆頭御家人として活躍しました
頼朝も常胤を父のように慕っていた
とかなんとか
記された文章も多いのですが、
こればっかりは
人たらしの頼朝ゆえ
ホントのところがわかりませんね笑笑