三浦氏の復習 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


注意●ネタバレあり

◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』


三浦義澄〈佐藤B作〉


三浦義村〈山本耕史〉


登場人物の勉強
三浦氏の復習
復讐ではありませんw
数年前(2015)に書いたブログを
読み返してみます


三浦氏は

三浦半島を本拠に活躍した在地豪族です

(支配地は全国にあります)

三浦氏の祖先・平忠通は

藤原摂関家との繋がりもあり

京と東国とを往来するうちに

源氏との同盟関係が結ばれ

源頼光のちには頼信の家人となりました


つまり

今回のドラマに登場する豪族の中で

三浦氏が

最も古くから源氏と繋がっていたわけです


忠通の嫡男・村岡為通は

源頼義に仕え、前九年の役の功績から

康平6年(1063)相模国三浦郷を賜り

衣笠城を築き、三浦氏を名乗りました

(僕としては為通を家祖とします)


為通の嫡男(異説もあり)

2代目当主・三浦為継(為次)は

源義家に従い、後三年の役に出陣しています


為継の嫡男

3代目当主・三浦義継は

国衙在庁官人としての地位を高め

三浦介を称し(のちには相模介?)

三浦半島さらには房総半島の安房に

勢力を拡げました


義継の嫡男は

4代目当主・三浦義明ですが、

その弟

岡崎義実(おかざきよしざね)が

ドラマの第4回に登場するようです


岡崎義実〈たかお鷹〉


岡崎義実(1112〜1200)

三浦義継の(おそらく)4男

相模国大住郷岡崎を領し

(現在の伊勢原市岡崎・平塚市岡崎)

岡崎氏を称しました


平治の乱(1159)で

源義朝が敗死した後

鎌倉・亀ヶ谷の義朝館跡に

菩提を弔う堂宇を建てています

(のちに政子が寿福寺を創建した地)


治承4年(1180)8月

源頼朝が伊豆で挙兵すると

嫡男与一義忠とともに直ちに参じました


この先、岡崎義実は

89歳の長寿を全うするので

続きはまたの機会に書くことにします



4代目当主

三浦義明(1092〜1180)は

世襲の官である三浦介を号します


娘を源義朝に娶らせ

義朝長男・義平が誕生します

ほかの娘も

武蔵国の有力者・秩父党の畠山重能や

上総国の有力者・上総一族金田頼次に

嫁いでいます

有力氏族との血縁関係で

三浦氏の基盤は強化されました


義明の嫡男は

杉本義宗(1126〜64)

義宗の嫡男が

和田義盛(1147〜1213)です


和田義盛〈横田英司〉


義明の次男が

三浦義澄(1127〜1200)

義澄の次男(嫡男)が

三浦義村(?〜1239)です


そうそう

義明の娘が嫁いだ

畠山重能の嫡男が

畠山重忠(1164〜1205)


だから

和田義盛、三浦義村、畠山重忠は

従兄弟どうしです

(祖父が三浦義明という関係)


また、

三浦義村と北条義時は

それぞれの母親が姉妹だから

これまた従兄弟にあたります

(祖父が伊東祐親という関係)



三浦氏の復習

まだまだ続けます


古くから

源氏に仕えてきた三浦氏なのに

「頼朝は疫病神」などと

あっさり言い放ってしまう

義村の性格が

どうにも気になる今日この頃です。。。