上醍醐に挑む10開山堂 | 芳村直樹のブログ

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◎関西の旅
○7月16日
●上醍醐

醍醐山の山上
上醍醐にある堂舎の紹介
いよいよこれが最後です


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11:23

◆開山堂(かいさんどう)

醍醐寺の開山
聖宝理源大師
(しょうぼうりげんだいし)を
奉安したお堂です

延喜11年(911)
聖宝の弟子で
醍醐寺初代座主の
観賢(かんげん)僧正が
墓所の上にお堂を建て
聖宝の御影を刻んで安置しました
御影堂(みえどう)とも呼ばれます

現存する開山堂は
慶長11年(1606)
豊臣秀頼による再建のもの
上醍醐最大規模のお堂です

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>説明板コピー
重要文化財
開山堂
最初延喜年間に建立され次いで寛治6年(1092)に改築されたが、其後二回にわたり祝融にあい、現在の堂宇は慶長11年(1606)豊臣秀頼の再建されたもので、雄大な桃山時代調をよく発揮した山上最大の建造物である。
其の様式に於ては注意を要する点が多々あるが、外観に於ては側面前端の間の扉で、ここでは縁が切断されており、扉が亀腹上にまで達しておることである。
堂の内内陣には、中央に開山聖宝理源大師、左に弘法大師、右に醍醐寺一世座主観賢僧正の像が安置されてある。

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説明板の文章にある
側面前端の扉の写真を拡大しました



観賢の刻んだ聖宝像は
文応元年(1260)に焼失しましたが
翌年 弘長元年(1261)新造された木像が
現存しているそうです

寄木造りに彩色を施した像で
最も古い聖宝像として貴重なもの
国の重要文化財に指定されています

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醍醐寺の開山
聖宝理源大師についてまとめておきます

『醍醐根本僧正略伝』によると
天長9年(832)瀬戸内の塩飽諸島生まれ
49代 光仁天皇の末裔ともいわれます

16歳のとき
東大寺 真雅(空海の実弟)
のもとで 出家得度
以後 南都仏教の研鑽に励み
三論学者の高い地位を得ます
一方で 密教の修行も怠らず
厳しい修験の練行も積みました

貞観16年(874)43歳のとき
笠取山(醍醐山)に登り 庵を結び
准胝、如意輪の両観音像を刻み
2年後に堂宇を建てて奉安した
という
醍醐寺草創のストーリーは
これまで何度も書いたとおりです

元慶4年(880)には 両部大法を
元慶8年(884)には 伝法灌頂を授けられ
ますます密教の秘奥に迫り
延喜6年(906)には
真言宗最高の地位である
東寺の長者となります

延喜7年(907)
醍醐寺は醍醐天皇の御願寺となり
薬師堂、五大堂の建設をすすめました

延喜9年(909)7月6日 入寂  享年78