上醍醐に挑む9如意輪堂 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


◎関西の旅
○7月16日
●上醍醐

11:20
醍醐山最上部の平場に到達しました!!

登山口の女人堂を出発したのが
 9:20 ですから
何度かの休憩を含めて
ちょうど2時間かかったことになります

ここには
如意輪堂と開山堂が建ちます
どちらも国の重要文化財指定です

まずは
如意輪堂から紹介します

>説明板コピー
重要文化財
如意輪堂
此の堂宇は、開山入師が准胝堂と共に自己の如意輪観世音菩薩を祀られた由緒深いものであるが、再三焼失し其の都度再建され現在の建物は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼により再建されたものであるが、その木造りは全て大阪に於いておこなわれたものである。
醍醐寺新要録によれば『結構花見前代の堂に十倍』とあり、此の堂の再建当時の美麗と、昔時の堂の簡素さがしのばれる。
本尊は二臂如意輪観世音で、豊家ゆかりの女房衆の寄進になるものである。

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◆如意輪堂(にょいりんどう)

聖宝理源大師が
准胝、如意輪両観音像を自ら刻み
堂宇を建てて祀ったことが
醍醐寺のはじまりです

すなわち
如意輪堂は准胝堂とともに
開山聖宝が最初に建てた堂宇であり
『醍醐寺縁起』では
貞観18年(876)創建としています

当初の堂宇は
文応元年(1260)に焼失しますが
上の説明板の文章を読むと
もっと簡素な造りだったようですね

現存する如意輪堂は
豊臣秀頼による再建のもの
南面が前方にせり出した
実に見事な懸け造りです

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如意輪堂には
本尊の如意輪観音、
脇の間に毘沙門天、吉祥天が
祀られているそうです
(やはり堂内は非公開)

開山聖宝の刻んだ如意輪観音像は
すでに現存しません

上の説明板の文章を読むと
現在の本尊は
二臂(手が二本)の観音像とのこと

検索してみましたが
二臂像の画像は見つかりませんでした

醍醐寺には
如意輪観音像が
他にもいくつかあるようです
国の重文指定として紹介される
如意輪観音像は
六臂(手が六本)のものでした

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参考画像

如意輪観音は
観音菩薩の変化身の一つ
六観音の一尊として
天上界を摂化します

六観音については
参照ブログ●准胝堂跡

如意輪観音像は
ほとんどが坐像または半跏像です
二臂像は比較的少なく
六臂像が多いです

6本の手のうち
右第2手で如意宝珠を持ち
左第3手で法輪を支えます

ちなみに
わが家のそばにある
真言宗豊山派大本山護国寺の
本尊 如意輪観世音菩薩も
六臂の半跏思惟像です
毎月縁日の18日が開帳日で
前立ち本尊を間近で拝めます
僕は畏敬の念を抱いているし
同時に親しみも感じています


◇◇◇


さて
いよいよ
オーラスは開山堂です
その前に
如意輪堂と開山堂の間に
小さな社があったので載せておきます

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◆白山堂(はくさんどう)白山権現社

寛平9年(897)聖宝が勧請
のちに豊臣秀頼が再建した
という記述がありました

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白山権現とは
日本三霊山の一つ 白山の山岳信仰と
修験道が融合した神仏習合の神です

修験道中興の祖として仰がれる
醍醐寺開山聖宝が白山権現を勧請したのは
納得できるところです

のちの時代
白山神社の祭神は
菊理媛尊(くくりひめのみこと)とされ
喧嘩するイザナギとイザナミを
仲介したという逸話から
人と人との縁をククルとして
縁結びの神となります

ここの社も
縁結びパワースポットと
紹介されていましたが
あの険しい山道を
文句も言わずに
一緒に登れるカップルなら
どんな困難も乗り越えるでしょうねwww