GHQ本部跡 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




皇居内堀(日比谷濠)東側
日比谷通りを挟んで建つ
第一生命日比谷本店ビル

「DNタワー21」という名前です


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・千代田区有楽町1-13-1


かつての
第一生命館(昭和13年竣工)と
その奥(東側)にあった
農林中央金庫ビル(昭和8年竣工)が

再開発(平成元年告示)で解体され
一体となった建物なので
その頭文字をとって「DN」だそうです


日比谷通り沿いの西側部分だけは
歴史的建造物として保存されていて
往時の姿を窺い知ることができます



■第一生命館

Wikipedia に
昭和25年(1950)頃の
旧第一生命館の画像があったので
借用します

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当時ここにGHQ本部がありました


太平洋戦争終結に際し
ポツダム宣言に基づく
連合国軍の日本占領で
実際の占領政策を遂行する機関が
GHQ
(連合国軍最高司令官総司令部)です


  GHQ職員の多くは
  アメリカ合衆国軍人と民間人
  少数のイギリス軍人でしたが
  イギリス連邦占領軍は
  山口、広島、島根、鳥取、岡山と
  四国4県を担当した
  と書かれていました

  となると
  その県に住む皆さんにとっては
  終戦後の辛い時期の体験の中に
  米兵ではなく英兵が登場する
  ということなのでしょうか?

  どなたか
  ご存知でしたら教えて下さい (__)


アメリカ陸軍の太平洋陸軍総司令官
ダグラス・マッカーサー元帥が
連合国軍最高司令官(SCAP)に就任

終戦直後は横浜にあった
GHQ本部(総司令部)は
10月2日
ここ第一生命館に移転しています

マッカーサーが都内を視察して
本郷の東大など複数の候補の中から
このビルを選んだと言われています


  ビル6階の社長室が
  マッカーサー執務室となりました
  平成のビル解体の際にも
  その施設は特別に保存され
  現在も遺っているようです

  通常は未公開ですが
  昨年(2012)一般公開された
  という記事がありました




昭和天皇とマッカーサーの会見

よく目にする
歴史的ツーショット写真があります


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この会見は
昭和20年(1945)9月27日のことなので
第一生命館ではありません

マッカーサーが住居としていた
赤坂のアメリカ大使館公邸に
昭和天皇が出向かれたとのことです



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昭和26年(1951)4月11日
マッカーサーが
トルーマン米大統領に解任された後
同じく米軍の
マシュー・リッジウェイ中将
(就任直後に大将に昇進)が
最高司令官に就きます

翌年(1952)4月28日
サンフランシスコ講和条約
(平和条約)発効とともに
GHQが活動を停止するまでの間

約6年半
ここ第一生命館に
GHQ本部があったわけです





西側の祝田橋から第一生命を眺めます


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昭和天皇の宮殿は
祝田橋よりもさらに西へ
500m以上離れた場所に存在しました


GHQ本部の立地について
皇居を見下ろす位置にあった
との文章をよく見かけますが

終戦直後
いくら焼け野原であったとしても
その表現は
少々オーバーではないかと
僕は感じました






DNタワー21の東側
農林中金側の低層部分にも
レトロな造りが施されています


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こちらは
解体後に新たに創造されたもの
とのことですが、
とても厳かで品のある外観です


人それぞれの好みでしょうが

奇抜なデザインの乱立よりも
落ち着きのある町並みのほうが
僕としては心が満たされます。。。