牛込橋 牛込見附(牛込御門)跡 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




さて、牛込橋

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早稲田通り(神楽坂通り)が
外濠を渡る橋です
南へ進めば
北の丸公園の
田安門につながります

江戸時代には
交通の要衝だったわけです

現在は
牛込濠と飯田濠の境目で
濠の幅は狭く
水量も少ないので
どちらかと言えば
JRの跨線橋
という印象が強いです


飯田濠側(北東側)には
JR飯田橋駅西口駅舎があります

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そして
牛込濠側(南西側)を覗くと

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このあたりに
飯田橋駅開業(1928)より前には
牛込駅という駅が存在しました
(1894~1928)



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●牛込橋

>説明文コピー

この橋は「牛込橋」といいます。
『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。
また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
最初の橋は、寛永13年(1636)に外堀が開かれた時に阿波徳島藩主・蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、長さ46m、幅15mの鋼橋です。
平成8年3月 千代田区教育委員会


そして
南側の橋詰には
その蜂須賀忠英が築いたとされる
牛込見附(牛込御門)の石垣が残ります

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●史跡 江戸城外堀跡
●牛込見附(牛込御門)跡

正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門の一つである牛込見附の一部です。
江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し防ぐために「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「桝形門」という形式をとっています。
この牛込見附は
外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主・蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点でした。
また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。

その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、現在も道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。
この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。




このような史跡を
見せられると
江戸という町が
天下一の城下町だったことを
あらためて感じますね (゚_゚