江戸城外濠
飯田濠について
もう少し書き加えます
現在JR飯田橋駅の
東口に架かる飯田橋と
西口に架かる牛込橋の間の部分が
かつての飯田濠ですが
暗渠となっていることは
前にも書きました
飯田濠暗渠の上には
親水公園(のようなもの)が
造られています
![芳村直樹のブログ-130207_131643.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/02/manhattan1980/9b/e3/j/t02200293_0480064012414304010.jpg?caw=800)
でも
安心安全な水が流れているわけではなく
所々に
汚れた水溜まりがあったりで
公園としては
あまり機能しているとは言えません
せっかくの緑地帯が
ちょっともったいない気がしました
管理が中途半端に思えるのは
千代田区と新宿区の
区境線の引き方にも
問題があるのではないかと感じます
この区境線は
今まで気づかなかったこと
僕にとっては新発見!なので
地図に書いておきます
緑に塗った部分が親水公園です
![芳村直樹のブログ-130211_033415.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/03/manhattan1980/e5/98/j/t02200293_0480064012414319940.jpg?caw=800)
赤い線が区境線です
JR飯田橋の駅ビルである
ビルAの住所は千代田区飯田橋
ビルBの住所は新宿区神楽河岸です
どちらのビルも
1~2階はレストラン等が入りますが
ビルAは
上層階が住宅棟になっていて
ビルBは
上層階が東京都の役所だそうです
外堀通りから見た
公園の緑地帯と二つのビル
![芳村直樹のブログ-130207_131937.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/02/manhattan1980/0a/54/j/t02200293_0480064012414304013.jpg?caw=800)
写真左側がビルA(千代田区)
写真右側がビルB(新宿区)です
![芳村直樹のブログ-130207_131421.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/03/manhattan1980/15/61/j/t02200165_0640048012414319941.jpg?caw=800)
公園の一角に石碑がありました
●牛込揚場
>説明文コピー
江戸時代には海からここまで船が上ってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。
昭和47年に都の市街地再開発事業として、ビル建設が決定され飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から、ビルの西側に飯田壕の一部を復元すると共に、以前水面があったことにちなんで 約230mのせせらぎを造った。
外濠の水は、このせせらぎの地下水路を通って昔のとおり神田川に注いでいる。
昭和59年3月 東京都
牛込橋の下
先に書いた地図で
←Cを撮った写真です
![芳村直樹のブログ-130207_132138.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/03/manhattan1980/41/c9/j/t02200293_0480064012414319942.jpg?caw=800)
牛込濠から飯田濠へ流れ込む箇所は
段差があります
この段差は
江戸時代からあったもののようで
つまり
江戸湾や大川(隅田川)方面から
神田川に乗り入れてきた船舶も
飯田濠どまりだったものと思われます
地図で
D→を撮った写真です
![芳村直樹のブログ-130207_132119.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130211/03/manhattan1980/8c/6a/j/t02200293_0480064012414319944.jpg?caw=800)
現在でも
飯田濠の水は
公園の下を暗渠として流れ
飯田橋の先の神田川に
合流しているわけです