飯田町から飯田橋へ | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




現在の住居表示は
千代田区飯田橋1~4丁目ですが
以前は
飯田町という町名がありました

まずは、そのことを記しておきます

ありがたいことに
千代田区町名由来板を見つけたので
活用させてもらいます^/^

芳村直樹のブログ-130128_124216.jpg

>コピー

かつてこのあたりは千代田村と呼ばれるのどかな農村でした。ここに飯田という地名が生まれたのは、徳川家康が江戸にやってきてからのことです。
天正18年(1590)江戸に入府した家康は、千代田村とその周辺を視察します。このとき案内役を買って出たのが、村の住人飯田喜兵衛でした。
「所の巨細とも申上(土地のことについて細かく詳しく申し上げた)」
(『新撰東京名所図会』)
という喜兵衛の案内に感心した家康は、彼を名主に任命し、さらに地名まで「飯田町」とするように命じたのです。
以来、江戸の町の開発が進み、この界隈に武家屋敷がひしめくようになっても、飯田町という名前は残りました。ただし江戸時代の武家地は町名をもたなかったため、飯田町は通称として使われていました。
飯田町が正式な町名となったのは、元飯田町や周辺の武家屋敷などが、飯田町1~6丁目に再編された明治5年(1872)のことです。
(後略)


芳村直樹のブログ-130128_124328.jpg


当初の飯田町は
現在の飯田橋より南に位置したらしく
九段坂は飯田町坂
田安御門は飯田町御門と
呼んでいた時期があったようです

徐々に旗本屋敷などが建てられ
武家地としての整備が進みます
元禄年間(1688~1704)
町屋は築地に代地が与えられましたが
一部が残り
元飯田町を称えたということです





芳村直樹のブログ-130128_121414.jpg

>コピー

江戸時代、千代田区側は外堀の城壁である土居にかこまれて、この目白通りも飯田橋もありませんでした。
明治初年(1868)簡単な木橋がかけられ
明治14年(1881)土居が掘切られて車の通行ができる橋になりました。
明治23年(1890)には鉄製の橋にかわり
昭和4年(1929)現在の橋がかかりました





前のブログに書いたように

甲武鉄道の飯田町駅が開業したのは
明治28年(1895)のことです

昭和3年(1928)
飯田橋の橋のたもとに
新しい飯田橋駅が開業します

しばらくは飯田町駅も
長距離列車のターミナル駅でしたが
昭和8年(1933)貨物専用駅となります

一般の旅客が
飯田橋駅だけを利用することになると
駅周辺の地域を「飯田橋」と
呼ぶようになったんでしょうね

昭和41年(1966)住居表示実施にあたって
世間的な知名度からでしょうか

「飯田町」という町名はなくなり
「飯田橋1~4丁目」誕生となるのです

平成11年(19999)には
飯田町駅も廃止になりましたから
その名前は
歴史の中だけに残ることになりました





ちなみに

飯田橋という橋が架かるのは
千代田区と新宿区の区境です

JR飯田橋駅
東京メトロ東西線飯田橋駅は
千代田区飯田橋4丁目です

東京メトロ南北線と有楽町線飯田橋駅は
新宿区神楽坂1丁目です

都営地下鉄大江戸線の飯田橋駅は
文京区後楽1丁目に所在しています