大東亜戦争末期に開隊された対馬海軍警備隊は、朝鮮海峡の防御を担うべく対馬を始めとした島嶼部に派遣隊を配備しました。

 

詳しくは下記記事にて。

 

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対馬南端に配備された神崎(こうさき)派遣隊は、防備衛所、水上電探、水雷射堡隊の3部隊で構成されました。

防備衛所は大東亜戦争開戦時より鎮海防備隊の一員として対潜哨戒の任務を遂行してきましたが、水上電探と水雷射堡隊は新たに編成された部隊です。

警備隊の開隊から3ヶ月弱で終戦となりましたので、施設は完成途上で人員も兵器も未着でしたが、遺構は現存していますので本記事にて紹介していきます。

 

防備衛所跡地には3年前に訪問しました。下記レポートをそうぞ。

 

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地図にて場所を確認します。

 

防備衛所は神崎の先端に位置しています。3年前の訪問時は浅藻浦から現地まで伸びる登山道を辿りましたが、水上電探陣地は松無崎にありますので、別ルートにて現地に向かいました。

作業道を経て山に入りますが登山道はありません。直登して尾根に上がり、松無山登頂後は岬の先端に向けてひたすら下降していきます。防備衛所に行くより時間も距離も短かったですが、道がない分くたびれましたね。

 

トンネルの横から作業道へ。朝5時半から元気にスタート(・∀・)

 

山に入って直登中。

 

尾根に上がって15分で松無山の山頂に到着。

 

三角点の横に番号が刻まれた標石があります。軍の遺構ではありませんが、尾根上には何本も埋設されていました。

 

神崎が目の前に見えます。海の青さよ...(*´Д`)

 

絶景からほどなくして遺構が現れました。55分で到着。ふぅ。

 

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ところで、水上電探とは対艦船用の水上警戒(兼射撃)レーダーです。対馬警備隊においては朝鮮海峡域内6か所(海栗島、郷崎、神崎、沖ノ島、若宮島、的山大島)に配備して、上陸を企む敵艦艇を早期に発見する計画でした。ただ、対馬島内の海栗島、郷崎、神崎以外の3か所は工事未着手で、さらに建設中の3か所も兵器は未着だったため、配備する予定だった電探の種類はよく分かりません。おそらく22号電探か32号電探だったのではないかと思われますので、以下書籍(兵器と技術 (279)、(340)、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)から引用します。

 

22号電探

 

艦艇のマストに装備されていたのをよく見かける22号電探

 

32号電探。艦艇用22号の性能向上を図るも、完成した頃には装備する艦艇減少で沿岸警備に転用。

 

十字架記号が水上電探の配備場所です。

 

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現地における遺構配置図を描きましたので掲載します。

 

コンクリート造の指揮所、電探室、逆探室が尾根上に現存しており、西側斜面には棲息・機器類の横穴壕が複数掘られています。

「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」掲載の地図と実際の遺構の位置はほぼほぼ合致していますが、この史料にはコンクリート造の3施設について「穴ノミ」と書かれています。なので3年前に神崎先端まで行った時には水上電探の探索をスルーしたのですが、実際は8割方完成していたと言う...(^^;

昨年、Xフォロワーの戦跡探知犬さん(@DdSenseki)が遺構の存在をポストしなければ今回探索することもなかったので、この場を借りて御礼申し上げます。

 

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それでは遺構を見て行きます。

 

現地に到着してまず最初に現れるのが逆探室の塔です。なお史料には「逆探装備用塔」と書かれています。

 

塔の高さは地下部から11mですので、地上の露出部分は半分くらいでしょうか?

なお矢印の所に穴が開いていますが、この下に地下室があります。

 

上部の方形孔まで鉄製の梯子が架かっています。ちなみに梯子は内部にもあります。

 

塔の下から内部を覗いています。上部は煙突のように開口していますね。

 

「逆探」は敵が使っているレーダー(電探)の電波を傍受して敵の位置を知るもので、大東亜戦時中に「E-27型電波探知機」が開発されて艦艇や潜水艦に備え付けられました。その後改良型が造られましたが、基本は受信機とアンテナ(ラケット型、電磁ラッパ型)で構成されていたようです。

神崎に残る逆探室の遺構は地下室と塔なので、地下室に受信機を置いて塔の上にアンテナを付ける予定だったのでしょうね。

 

なお、ラケット型アンテナは45度に傾斜した指向性アンテナに反射板を付けたものです。資料の写真で確認します。

(以下、REPORTS OF THE U. S. NAVAL TECHNICAL MISSION TO JAPANより引用・抜粋)

 

波型106潜水艦の艦橋に写るアンテナ(③)

 

ラケット部分の拡大写真。

 

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地下室は西側の斜面に入口があります。

 

素掘りの洞窟の先にコンクリート造の部屋があります。

 

では入ります。

 

天井アーチ型の部屋です。

 

床面。

 

内部から入口を見ていますが、壁には一定間隔で木材が埋まっています。木材には釘の跡が見られますので、既に板張りがされていたようです。

 

釘が残っています。

 

壁の方形孔は逆探装備用塔の下部に当たります。

 

覗いてみた。先ほど載せた写真です。

 

塔の真下も見る。

 

塔の内壁に梯子が見えますが、壁の穴はめっちゃ狭いので現代人の普通体形では通るのが難しいかも。小柄な自分でも苦労しそうですが、当時は中の梯子を上がってメンテナンスするようになっていたのかもしれませんね。

 

では退出します。

 

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逆探室から岬の先端方向に進むとコンクリート壁が現れました。これは電探室後方の壁となります。

 

電探室の前方に回ってみました。

 

横から見ています。入口がありますね。

 

内部を見下ろしてみると円形の機器据付台座が設けられています。

 

見ての通り電探室は半地下構造になっています。実測していませんが、史料によると5m×3m、深さ2.5mと記載されています。

 

入口から中に入ります。

 

円形の機器据付台座です。

 

直径2.5mの台座に6つの方形穴と1つのスリットが入っています。方形穴にアンカーボルトを打ってこの上に電探を据え付けたのでしょう。スリットはケーブル溝かな。

 

見上げるとコンクリートの屋根が台座の半分くらいを覆っています。

 

冒頭にも書いた通り、ここには22号電探か32号電探だが据え付けられる予定だったと思われます。

ただ、ラッパ付き小屋タイプはグルグル回転させて運用するんじゃなかったっけ?このスペースじゃ回せないような...。そもそも回転しないのか...。まぁ詳しいことは分からないのでスルーしますw

 

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ところで、この遺構に似た半地下構造物が我が山口県の下関市に残っています。構造物に言及した史料がないので用途不明としてきましたが、同じように電探室だったかもしれませんね。

 

 

ちなみに、同じ対馬の郷崎も水上電探陣地の建設中でしたが、あちらの電探室と思しき遺構は円形なんですよね。なぜ形が異なるのか...異なる電探を置くつもりだったのか...謎です。

 

そう言えば長崎県平戸市の生月島にも円形の遺構が残っていました。これも電探室なのだろうか?

 

ここで前編を終了します。次回は指揮所と洞窟を見て行きます。

 

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[参考資料]

「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」(Ref No.C08011397300~C08011400800、アジア歴史資料センター)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用

「兵器と技術 (276);1970・5」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「兵器と技術 (277);1970・6」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「兵器と技術 (279);1970・8」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「兵器と技術 (340);1975・9」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「海軍砲術史」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「海軍少年電信兵 : 後世に伝えるわが青春のあかし 写真・図説・記録」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「太平洋戦史 : ジュニア版 3(死闘編)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「REPORTS OF THE U. S. NAVAL TECHNICAL MISSION TO JAPAN」(Fischer-Tropsch Archive)