昭和6年(1931年)の満州事変以降、中国だけではなくソ連とも緊張状態が高まってきました。軍隊であれ物資であれ、本土と大陸の往来は対馬海峡(朝鮮海峡)を渡らなければなりませんので、生命線となる海峡が敵艦船に脅かされることがないように盤石の防御を敷くことが急務となりました。

そこで陸軍は要塞再整理を行い、「朝鮮海峡要塞系」と称して鎮海湾、対馬、壱岐、下関の4つの要塞に海上防御を担わせるべく各地に砲台を建設しました。

一方海軍においては、駆潜艇などの艦船を配備し、島嶼部に防備衛所や見張所を置いて対潜哨戒と撃退を主な任務とする防備隊を開隊することになりました。

 

昭和16年(1941年)12月8日、大東亜戦争が始まりましたが、開戦時における海軍の防御海域の区分は、対馬海峡が「鎮海防備隊」壱岐水道は「佐世保防備隊」がそれぞれ担当していました。さらに翌年には玄界灘まで範囲が広がり、防備は増強された上で、戦争末期の昭和20年(1945年)前半までこの態勢が維持されていくことになります。

 

韓国南部~対馬海峡~玄界灘

担当部隊:「鎮海防備隊」

所属する防備衛所:

対馬海峡西水道:(対馬)海栗島郷崎、(現韓国の無人島)鴻島

対馬海峡東水道:(対馬)神崎琴崎、(壱岐)若宮島

玄界灘:沖ノ島、(壱岐)魚釣埼

 

壱岐水道~玄界灘南方

担当部隊:「佐世保防備隊」

所属する防備衛所:

壱岐水道:的山大島馬渡島

玄界灘:筑前大島小呂島

 

さて、ここまで書いてきて「対馬警備隊」の文字が全く出てきませんね(^^;

この部隊に関する史料は、現時点で戦後に纏められた『引渡目録』しか確認できていませんので、部隊が結成された経緯や時期がよく分かりません。そこで関連する史料を読み漁ったところ、佐世保防備隊の担当海域が昭和20年5月25日に変更となり、壱岐水道~玄界灘南方海域が担当から外れ、4つの防備衛所も編成から削除されている記述を見つけました。

そこで、ここからは推測となりますが、この時点で対馬警備隊が新たに開隊され、佐世保防備隊から外れた海域を引き継ぎ、さらには鎮海防備隊の担当海域も加わって、朝鮮~本土間の対馬海峡(壱岐水道、玄界灘を含む)全域の防御を担うことになったのではないかと考えました。

なお対馬警備隊の引渡目録を読むと、鎮海と佐世保両防備隊が保有していた防備衛所はすべて対馬警備隊の派遣隊として書かれていますので、移管されたと考えると頷けます。

 

と言うわけで、戦争末期に新設された対馬海軍警備隊は、対馬の浅茅(あそう)湾南部の竹敷(たけしき)に本部を置き、対馬海峡島嶼部に設置された防備衛所、砲台、射堡隊などの部隊を、各地区派遣隊と称して指揮下に置くことになりました。

 

本部ならびに派遣隊が配備された場所を地図で示します。

 

派遣隊は、防備衛所が12ヶ所、水平砲台、高角砲台が各2ヶ所、射堡隊が3ヵ所、水上電探が6ヵ所(うち沖ノ島、若宮、的山大島の3ヵ所は工事未着手)となります。

先にも書いた通り防備衛所は既設の部隊が移管されましたが、その他の部隊に関しては工事中で終戦を迎えた物がほとんどです。

14㎝砲を備える水平砲台、陸上から魚雷を射出して近接攻撃を行う射堡隊さらには水上特攻基地、、、本土決戦に備えていたことは明らかですね。

 

では、部隊の簡単な紹介と遺構の残り具合を下記に記します。

 

◆本部と特攻基地

本部…旧深浦水雷基地跡に陣地構築中

特攻基地…洞窟構築中

・近隣に弾薬庫あり

⇒本部跡は探索済み、石垣、建物基礎残る

 

◆海栗島(うにしま)派遣隊

防備衛所…施設を地下に移すため洞窟構築中

水上電探…洞窟構築中

⇒未探索~航空自衛隊分屯地のため立入禁止

 

◆鰐浦(わにうら)派遣隊

高角砲台…12㎝高角砲×2門(射撃可) 別途洞窟砲台構築中

⇒探索済~韓国展望台建設で消滅

 

◆琴崎(きんさき)派遣隊

防備衛所…地下施設なし

⇒探索済~灯台建設で衛所は消滅も棲息施設跡が残る

 

◆郷崎(ごうさき)派遣隊

防備衛所…施設を地下に移すための洞窟ほぼ完成

射堡隊…8年式魚雷×12 海中滑台未完成で射出不能

水上電探…洞窟構築中

⇒未探索~自衛隊敷地のため立入禁止

 

◆龍ノ崎派遣隊

高角砲台…12㎝高角砲×2門(射撃可) 別途洞窟砲台構築中

⇒探索済~露天砲座と指揮所が残る

 

◆神崎(こうざき)派遣隊

防備衛所…S20.8.10被爆で地上施設被害、洞窟構築中

射堡隊…8年式魚雷×12 海中滑台未完成で射出不能

水上電探…半地下施設構築中

⇒防備隊は探索済~明治期の望楼、棲息施設跡などが残る

⇒他は未探索も、射堡隊の魚雷格納洞窟4本は確認

 

◆若宮派遣隊

防備衛所…若宮島に配置、地下施設なし

射堡隊…辰ノ島に配置、魚雷未着、洞窟構築中

水上電探…工事未着手

⇒未探索~若宮島は自衛隊敷地のため立入禁止、辰ノ島は上陸可

 

◆勝本派遣隊

・水平砲台…14㎝砲×2門(うち1門は未装備) 

⇒探索済~推定場所に遺構見つからず

 

◆魚釣崎(うおつりざき)派遣隊

防備衛所…地上施設完備、一部地下施設構築中

⇒探索済~衛所は消滅も、見張所、棲息施設跡が残る

 

◆初山(はつやま)派遣隊

・水平砲台…14㎝砲×2門(装備済) 

⇒探索済~砲座2つ確認

 

◆的山大島(あづちおおしま)派遣隊

防備衛所…地上地下施設完備

⇒探索済~推定場所に遺構見つからず

 

◆馬渡島(まだらしま)派遣隊

防備衛所…地上地下施設完備

⇒未探索

 

◆沖ノ島派遣隊

防備衛所…地上地下施設完備

水上電探…工事未着手

⇒未探索~沖ノ島は神域のため立入禁止

 

◆小呂島(おろのしま)派遣隊

防備衛所…地上地下施設完備

⇒探索済~衛所の建物、発電機の洞窟残る

 

◆筑前大島派遣隊

防備衛所…地上地下施設完備

⇒探索済~建物基礎残る

 

以上、警備隊の概略でした。次回から各地を探訪していきます。

 

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[参考資料]

「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」(Ref No.C08011397300~C08011400800、アジア歴史資料センター)

「2 対馬警備隊所有総数量(2)施設」(Ref No.C08011397300、アジア歴史資料センター)

「引渡目録 訂正表」(Ref No.C08011051500、アジア歴史資料センター)

「佐世保防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030432000~C08030436800、アジア歴史資料センター)

「鎮海防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030456900~C08030457500、アジア歴史資料センター)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用