小首堡塁のレポートは今回で終わりとなりますが、最後に紹介するのは堡塁北部に設けられた地区司令所です。

 

地区司令所とは要塞地をいくつかの地区に区分けして管轄内の堡塁砲台を指揮する司令所です。史料では「地区司令所兼地区砲兵長ノ位置」とも書かれています。

なお他地域の要塞でも同様の司令所が現存しており、地区砲兵司令所とも呼ばれています。

 

広島湾要塞鷹ノ巣高砲台北方高地の地区砲兵司令所

 

舞鶴要塞金岬砲台南方高地の地区砲兵司令所

 

函館要塞千畳敷砲台南東の砲兵指揮官司令所(地区砲兵司令所より上級司令部が指揮)

 

参考リンク:

広島湾要塞探訪㉘ ~鷹ノ巣高砲台 その5(司令所) -再訪-

舞鶴要塞探訪⑧ ~金岬砲台 その5

函館要塞探訪⑩ ~砲兵指揮官司令所(前編)

 

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小首堡塁から北に伸びる道を歩きますが、途中に廃車が放置されています。堡塁内の赤い車は無くなりましたが、こちらは健在です。

 

顕彰之碑への案内板があるのでここから入ります。

 

顕彰之碑です。大東亜戦争時に墜爆戦死した勇士を顕彰するため、昭和29年に俵ヶ浦町婦人会が建立しました。

 

顕彰之碑から司令所までの道ははっきりしないので適当に登っていくと、コの字型の石積みが現れました。石の形は不揃いなので戦後物かな。

 

司令所の後方に到着。標高136mピークに置かれています。

 

史料には地区司令所として2つの施設が書かれていますが、いずれも日露戦争(明治37-38年)の戦備作業にて設けられた物です。以下に記載します。

 

・名称:地区司令所

・構造:前部半円比頓後部煉瓦積及掩蓋木製(片流し)

・幅長:前部半円径4m、後4m 2m

・積:14㎡3

・数:1個

・入口数 窓数:各1個

・摘要:小首堡塁右方高地より同堡塁右翼観測所より距離140m20

 

・名称:地区司令所附属室

・構造:木造妻屋根5寸竝列ノ上枌葺

・長幅:3間 2間半

・積:7坪5

・数:1個

・入口数 窓数:1個 障子2個

・摘要:室内電鈴室5個を設け寝床5人分

 

司令所後方は広めの平坦地になっていますので、その場所に附属室が置かれていたのでしょう。ただ痕跡は確認できませんでした。

 

司令所の入口です。

 

上方より。レンガ積みモルタル塗りだったようです。

 

司令所左側が道のようになっていますが、耕作地に面していますので戦後に設けられたのかもしれません。

 

前方の半円部分を見ています。実測の径は約3.8m。まぁ史料通りですね。

 

半円の前方部分に4本の鉄柱が立っています。

 

鉄柱の高さは約60㎝あります。

 

縁には一定間隔で鎹のような金具も付いています。

 

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ここで史料を見てみると...。

構造は「前部半円比頓後部煉瓦積及掩蓋木製(片流し)」と記されています。比頓はべトン=コンクリートのことですが、注目は掩蓋木製(片流し)と書かれていることです。観測所や砲台長位置の掩蓋は鋼製が多いですが、ここの地区司令所は木製掩蓋だったようです。なお片流しとは一方向だけ斜めになっている屋根のことです。

史料を検索すると2つの図面がありましたので以下引用します。

 

第1図:明治37年の戦備作業にて設けられた木製掩蓋

※戦備補修工事の件(Ref No.C02030274300) アジア歴史資料センターより引用・加工

 

第2図:明治38年4月に書かれた改築図

 

この史料は日露戦争後期の明治38年4月に提出された書類ですが、そこにはこう書かれています。

 

「地区砲兵長の位置は木造にして単に雨露を凌ぐに過ぎず然るに之を最近戦闘を鑑みるに以上の設備は堡塁砲台の首脳たる幹部を援護するに至らず補修工事が必要」

 

木造では弾が当たったら偉い人が全員戦死しかねないので改築しようよってことですね。第2図のように改築されたと考えたいところですが、この書類の提出から半年後には戦争が終結しましたので、実施されたかどうかは不明です。

ただ、現存する4本の鉄柱の位置は第1図より第2図の方が合っている感じがしますし、改築内容として木材を繋ぎとめる鉄鎹や鉄柱について言及されていますので、改築が実施された可能性が高いと思われます。

と書きつつも、第2図は現存する遺構より横長過ぎるんですよね(^^;

 

司令所の前方部分から司令所内部を見ていますが、第2図より長さが足りません。図面での横の長さは4間(約7.3m)ですが、実際は約4.7mです。

 

斜め前から。

 

横から。

 

まぁ図面通り改築されたとも限らないので、、、としておこうw

 

以上、地区司令所でした。

これにて小首堡塁の再訪記を終わります。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第七巻 佐世保要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「明治期国土防衛史」(原剛著、錦正社)

「工兵第3方面 小首堡塁建築の件」(Ref No.C03023096900、アジア歴史資料センター)

「佐世保要塞面高堡塁改築等竣功図書進達の件」(Ref No.C02030496600、アジア歴史資料センター)

「佐世保軍港防禦小首堡塁弾廠増築の件」(Ref No.C02030411400、アジア歴史資料センター)

「小首堡塁砲具庫増築等の件」(Ref No.C02030465700、アジア歴史資料センター)

「防禦営造物及付属物件に編入の件」(Ref No.C02030024200、アジア歴史資料センター)

「戦備補修工事の件」(Ref No.C02030274300、アジア歴史資料センター)