金岬砲台敷地内の遺構紹介は前回で終わりましたが、「その5」では砲台後方の高地に置かれた遺構を見に行きます。

 

場所はこちら。

 

砲台の南側後方の標高290m付近に、前回紹介した砲台敷地内にあったレンガ積み円形遺構と酷似した物が2つ並んで配置されています。写真の2つですが、これは一体何でしょう?

 

それでは史料から推測してみます。

『金岬砲台及吉坂堡塁防禦営造物除籍に関する件』には以下の記載があります。

観測所の備考欄にある“中径3m ベトン掩体”は、21㎝加農砲座の右翼側にあった観測所で間違いないでしょう。とすると地区砲兵司令部の“煉瓦積”2個がこの円形遺構だと言うことになりそうですが、表をよく見てみると数量や価格が全く合いません。

 

観測所は2個なのにべトン掩体1個しか書かれていないし...

司令部は1個なのに煉瓦積が2個だし...

煉瓦積2個の価格の合計が観測所の価格になってるし...

 

書き間違いがあるのは確かですが、ではどう間違っているのでしょう?

そこで辻褄が合うように間違いを訂正してみました。

べトン掩体はコンクリート造りの鋼製掩蓋付きだから高いのでしょうけれど、そもそも幾らぐらいの物なのか分かりませんので、他の砲台観測所の価格も調べてみなければいけませんね。

煉瓦積の2つは“周囲”と“側壁”の違いが何なのか不明ですが、似たような工作物だろうから価格がほぼ一緒と言うのは納得できます。

 

で、結局円形遺構は何なのよ?ってことですが、以下の通り推測します。

 

・中径3m べトン掩体→21㎝加農砲の観測所

・中径3m 周囲煉瓦積→写真①の観測所

・中径3m 側壁煉瓦積→写真②の地区砲兵司令部

※①と②の振り分けは、①に応式測遠機を据え付けた3本の石柱が残っていることから、こちらを観測所とした

 

これでスッキリしましたね。(都合よく割り振っただけとも言うw

 

さらに別の史料『舞鶴要塞戦備作業物中修築に関する件』には、「金岬砲台南方高地観測所 及 同砲兵大隊長司令所」と言う名称が登場します。

「南方高地観測所」なんて、この円形遺構の場所でズバリやん(・∀・)

ただ、「砲兵大隊長司令所」と「地区砲兵司令部」は同列ではないと思われ。

 

砲兵大隊とは明治30年(1897年)に開隊した舞鶴要塞砲兵大隊のこと。日露戦争時(明治37-38年)には露西亜艦隊襲来に備えて各砲台へ配備されました。

一方、地区砲兵司令部とは、地区毎に区分けされた堡塁/砲台を指揮する司令部と言う認識ですので、そりゃ砲兵大隊長の方が上官でしょうね。

史料から推察するに、南方高地観測所も砲兵大隊長司令所も日露戦争時の戦備作業にて構築した物のようですので、戦時下においては写真②の場所に2つの司令部が同居して使っていたのかも、、、。って言うか同居とかじゃなく、大隊長が地区砲兵隊長を兼任していれば万事解決なんですけど(^^;マタツゴウヨク...

いずれにせよ、半島先端部の標高290m地点なら舞鶴湾口を見下ろすことができ、さらに先の海まで視界良好だったでしょうから、陣頭指揮を執るには絶好の場所だったと思われます。

 

と言うことで、標高290mにある円形遺構は観測所と司令所でした(推測...)

 

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※追記(2022年8月27日)

ブログ投稿後にアジア歴史資料センターで史料を検索したところ、「舞鶴要塞電線増設及改築に関する件」に舞鶴要塞防御営造物位置略図が掲載されており、この場所と合致する箇所に「要塞砲兵隊長司令所」が書かれていましたので、司令所が置かれていたのは間違いないかと思われます。

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ではそう言う“てい”で遺構を紹介していきます。まずは見取図から。

煉瓦積みの円形遺構が2つ並んでおり、そこから後方に向けて通路が設けられています。通路の先は平坦地に繋がりますのでソコに何か建物があったと思われますが、痕跡は確認できませんでした。

また、平坦地から南東方面に向けて下る道があります。おそらく槇山砲台~金岬砲台間の軍道に合流する道だと思われますが、途中で道が消えてしまったので確かではありません。

 

観測所を左側面より見ています。

 

中に入ります。

 

応式測遠機の台座となる3本の石柱がきれいに残っています。

 

応式測遠機は左のヤツです。

 

観測所右手の土留め?の煉瓦が倒れ掛かっています。

 

観測所の後方は通路が伸びています。

 

通路を進むと司令所の入口があります。

 

3本の石柱の有無以外は観測所と同型同サイズに見えますね。

 

前方から見下ろしています。

 

こちらの土留め?の煉瓦は倒れていません。

 

レンガ積み円形遺構はこれでお終いですが、通路が先に伸びているので進みます。

 

道を辿ると平坦地に出ました。

石柱がありますが、文字の類は彫られていませんでした。

 

平坦地はこんな感じだったので詳しく見ていませんが、何か建物が立っていたのではないかと思います。

 

一段掘り下げられた位置に石柱が埋設されています。

 

「陸界 14」と彫られています。

 

陸軍の境界標石と思われますが、この表記は初めて見ました。海軍の標石は「海界」ですが、いずれも他地域では確認していませんので、舞鶴特有の表記ではないでしょうか。

 

この先も南東方向に道が伸びていましたので進みましたが、途中で道が消えてしまいましたので、適当に下って金岬砲台軍道に復帰しました。当時はちゃんとした道で軍道に繋がっていたと思いますが。

 

以上、標高290m付近のレンガ積み円形遺構でした。

5回に亘ってお送りした金岬砲台のレポートはこれにて終了となります。

 

それでは陸界から離脱します。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第五巻 舞鶴要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「日本の要塞 忘れられた帝国の城塞」(学研)

「要塞備砲に戦利火砲代換の件」(Ref No.C02030224500 アジア歴史資料センター)

「金岬砲台右翼軽砲砲座改築の件」(Ref No.C02030274400 アジア歴史資料センター)

「真鶴要塞戦備作業物中修築に関する件」(Ref No.C03026851400 アジア歴史資料センター)

「臨時軍事費支出の件」(Ref No.C03027291200 アジア歴史資料センター)

「舞鶴要塞金岬砲台砲具庫管轄換及除籍の件」(Ref No.C01006624900 アジア歴史資料センター)

「金岬砲台及吉坂堡塁防禦営造物除籍に関する件」(Ref No.C01006639200 アジア歴史資料センター)

「3月6日 築城部本部 金岬砲台弾廠建築の件」(Ref No.C10071270200 アジア歴史資料センター)

「舞鶴要塞電線増設及改築に関する件」(Ref No.C02030291300 アジア歴史資料センター)