今日は笠戸島の深浦八幡宮を訪れます。

 

 

笠戸島南西部の深浦集落は島の最奥に位置していますが、八幡様は集落を見下ろす海側に鎮座しています。

 

防長バスの終着駅ですが、バス停越しに深浦八幡宮のある小山を見ています。

 

では参道を進んで行きます。

 

由緒書き。

 

由緒書きの左手に日露戦役紀念砲弾が祀られています。

 

六角形の台石ですが、奉寄進の左側面に「日露戦役紀念」の文字が彫られています。

 

右側面には「明治三十七八年」の文字。

 

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【日露戦争(日露戦役、明治三十七八年戦役)】 明治37~38年(1904-05年)

明治37年(1904年)2月から翌年9月にかけて行われたロシア帝国との戦争で、朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが起因となり勃発。朝鮮半島に上陸した大日本帝国陸軍はロシア軍を撃破しつつ朝鮮半島から遼東半島に進撃。8月から開始された旅順攻囲戦では大きな損害を被りつつも翌年1月に陥落させた。

一方海軍の連合艦隊は、ロシア艦隊を旅順港に封鎖する作戦を展開するも十分な効果が得られなかったが、陸軍の旅順攻撃により湾内から出てきたロシア艦隊を撃破し、続いて開戦以降通商破壊戦を展開して頭を悩ませていたウラジオストク艦隊を潰滅に追い込んで日本海の制海権を手中にした。

翌明治38年(1905年)3月には18日間に及ぶ大規模な会戦となった奉天会戦に勝利、さらに5月の日本海海戦において、連合艦隊が圧倒的な力を見せつけてバルト海から7か月の航海を経てやってきたバルチック艦隊を壊滅させた。

その後アメリカを仲介役として和平交渉が進められた結果、9月のポーツマス条約締結によって講和が成立、戦争は終結した。

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下段の台石には従軍した方々の氏名が彫られています。

 

明治四十一年 旧八月十八日建之とあります。八月の上の文字は“旧”だと思いますが、見たことのない表記ですね。

 

ザクっとした計測ですが、直径21㎝、長さ55㎝です。

 

奉納砲弾を見終わりましたので参拝します。

 

境内から深浦集落が一望できます。

 

ところで、この深浦集落から後背に聳える高壺山への登山道がありますが、中腹で昭和期の防空砲台の軍道に合流し、発電施設跡を経て稜線の兵舎跡もしくは指揮所跡に到達します。

防空砲台については既に記事にしていますので、ご興味あればこちらをご覧下さい。

 

以上、深浦八幡宮の日露戦役紀念砲弾でした。

 

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