先月1年ぶりに友ヶ島を訪れましたが、新たに確認した遺構がありましたのでレポートします。
友ヶ島第三砲台左翼観測所の東方150m地点に観測所と思しき遺構があります。史料で確認が取れませんでしたが立地的に第三砲台の関連施設と思われますので、「第三砲台の補助観測所」として書いていきます。
なお第三砲台は4回に亘ってレポートしましたので下記をご覧下さい。
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二十八糎榴弾砲8門を有する友ヶ島第三砲台は島の最高峰であるタカノス山(標高119m)の山頂付近に置かれています。遺構の状態もよく地下施設内にも入ることができますので、とても見応えがあります。
では「補助観測所」を含めた第三砲台の見取図を描きましたので掲載します。
砲台両翼の観測所と合わせてアバウトに設置標高を記載しました。おそらく補助観測所は左翼観測所とほぼ同じ高さにあると思われます。なお補助観測所を南向きに描いていますが、もう少し南西向きだったかもしれません。
補助観測所の場所を拡大してみました。
補助観測所に行くには遊歩道(軍道)を逸れることになります。藪を漕いだり崖を登ったりするわけではありませんが、見に行く際はご注意を。
遊歩道(軍道)を歩いていると山側に石垣が見えたので行ってみます。
上がりました。
平坦に造成されています。建物の瓦礫はありませんでしたが、補助観測所の関連施設が置かれていたのかもしれません。
奥からも見てみます。
横穴壕を作ろうとしてた?
石垣を覗き込むとボルトが1本ありました。
ボルトのそばに丸い穴が開けられた石が置かれています。
削平地から上にあがると道筋がありました。ボルトが付いた台のような物が置かれています。
補助観測所手前の地面に、柱を差し込んだような沓石?があります。
ちなみに同様の物が観測所前方に2つあります。
補助観測所の入口を見ています。
円形の部分は通常の観測所より狭いですね。観測所が内径3mとしたらこちらは2mぐらいの感じです。
内部には四角柱が1本だけ立っています。
四角柱アップ。
観測所内に四角柱が立っていたら応式測遠機の台座としか思えません(^^;
おそらく三角形状に3本立っていたうちの1本かと。左のイラストね。
ところでなぜ補助観測所がココに設けられたのでしょう?
作られた時期や経緯が史料に残っていれば解決なのですが、調べた限りでは確認できませんでした。ただ、「第三砲台観測所増設」の竣功図書が明治33年7月に進達されていますので、これが補助観測所のことであるとしたら、砲台完成から8年後に設けられたと言うことになります。
次に設置された理由について考えてみると...。
冒頭にも書いた通り、第三砲台の左翼観測所から150mほどしか離れていません。気象の影響を考慮して低地に置く例はありますが、ココは左翼観測所とほぼ同じ高さです。
ただ、補助観測所の測遠機は“応式”だったと推測されるのに対し、左翼観測所は“武式”が配備されていたようです。おそらく展望台建設で消滅した右翼観測所も同じだったと思われますので、この補助観測所は応式測遠機を置くための“応式分置観測所”だったと考えることができます。
左翼観測所を見ると武式測遠機台の円柱が置かれています。
以上、友ヶ島第三砲台の補助観測所でした。
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[参考文献]
「現代本邦築城史」第二部 第四巻 由良要塞築城史(陸軍築城部、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)
「竣功図書進達の件」(Ref No.C02030423300 アジア歴史資料センター)