昨年12月以来の対馬海軍警備隊探訪記となります。

 

対馬海軍警備隊は、朝鮮半島~九州間の対馬海峡の防備を目的として大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)5月ごろに開隊されました。

対馬海峡島嶼部に配備されていた佐世保防備隊および鎮海防備隊所属の防備衛所を編入するとともに、新たに砲台や射堡隊などの部隊を新設して敵の本土侵入に備えることになりましたが、ほどなく終戦を迎えました。

※詳しくは「概略」をご覧下さい。→→→

 

今回レポートする馬渡島防備衛所は、佐賀県の東松浦半島最北端の9㎞沖合に浮かぶ馬渡島(まだらしま)に設けられました。

 

地図で場所を示します。

 

馬渡島防備衛所は、配備された九七式水中聴音機4基を用いて壱岐水道の対潜哨戒を行うことが任務でした。佐世保海軍防備隊所属として昭和16年(1941年)12月8日の大東亜戦争開戦当初から任務に就いていましたが、戦争末期の昭和20年(1945年)5月頃に対馬海軍警備隊に編入されたのち終戦となりました。

 

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それでは現地に向かいますが、遺構が存在しなければ島に渡ることもなければ島の名前さえもまともに読めなかっただろうなぁと思いつつ...(^^;

 

島に渡るには唐津市北部の呼子港発着の定期フェリーに乗船することになりますが、船は名護屋港を経由して島に向かいます。呼子港よりは名護屋港の方が車を止めやすいので、こちらから乗船した方がよいかと思います。

 

30分の船旅で馬渡島に上陸(・∀・)

 

防備衛所は島の北部にあります。

 

忠霊塔と征露紀念碑を見ながら歩いて行きます。

 

フェリー乗り場から現地までは上りですのでソコソコ疲れますが、おおよそ30~40分ほどで到着します。

 

見取図を描きましたので掲載します。

 

史料の『派遣隊所在各地区』には兵備の明細とともに配置図も掲載されているのですが、探索の結果ほぼ配置図通りに遺構を確認しました。ただ、施設の間を通過する道路が戦後に作られたようで、一部遺構が破壊されています。

 

道沿いにレンガ積みの遺構が見えたら防備衛所に到着です。

 

こちらがレンガ積みの建物です。

 

側壁の2/3は崩れていますが、出入口側の壁は残っています。

 

史料の配置図を見ると、このレンガ建物の位置には燃料庫と旧発電機室が並んで書かれています。

まずは左側を調べてみたところ建物の痕跡は確認できませんでしたが、右側には道路脇にコンクリートの瓦礫が残っていました。

 

この遺構の残り具合から、レンガ建物は燃料庫、コンクリート瓦礫が旧発電機室の遺構であると推測しました。

後で見る道路脇に残る倉庫の遺構も建物基礎が道路にかかる部分で壊れていますので、旧発電室も同様に破壊されたのではないかと考えました。

 

なお史料の施設明細にはこう書かれています。

◎旧発電機室…木造地上 5m×4m

◎燃料庫…上部木造・下部煉瓦 3.5m×3.5m

 

煉瓦の文字があるのもレンガ建物=燃料庫とした理由の一つです。

 

旧発電機室の建物基礎と床面...のはず。

 

続いて、道の反対側を下って行くとコンクリート製の開口部が現れました。これが地下第一発電機室です。

 

では中に入ってみます。

 

入ろうとしたらライトの明かりに驚いたのか、大量のカマドウマ(便所コオロギ)が天井から落ちてきて飛び跳ねるカオス...。なので奥まで入るのを諦めました。

 

内部には発電機の据付台座が残っています。史料では「6K移動軽便発電機」が据え付けられていたようです。

 

奥の壁をヨリで。

写真を拡大して見るとコオロギさんがたくさん付いているのが分かります(゚Д゚;)

 

天井に見える開口部は排気口です。地上から見るとこんな感じ。

 

ではもう一つの地下発電機室を探しに行きます。

 

石垣がありましたので回り込んで進みます。道っぽくも見えますね。

 

地下第二発電機室を発見(・∀・)

 

第一より埋もれ具合が少ないので入りやすいです。

 

内部は第一と同じサイズ(3.5m×3m)ですが、発電機の据付台座がありません。

最初から台座が無かったような床面の綺麗さですが、史料には第一と同じ発電機が「装備中」と書かれていますので、やはりあったかと。

 

さて、地上にあった発電機室が“旧”と書かれていることから、発電機を地下に移したことが推察されます。空襲が激化し本土決戦が現実を帯びてきた戦争末期には、地上に据付けられていた加農砲を露天砲台から洞窟砲台に移設する作業が行われましたが、発電機や通信機などの機材類も同様に地下化が進められていましたので、ココ馬渡島でも作業が行われたことが窺えます。

 

次に、史料に描かれた揚水ポンプ室を探しに行きます。

なんとなく道筋が残るところを進んで行くと、掘り込み窪地に廃屋がありました。

地形や位置を考えるとココに揚水ポンプ室が置かれていたのではないかと考えましたので、見取図にはそのように描きました。

 

それでは道に戻って他の施設を探しに行きますが、続きは後編にて。

 

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[参考資料]

「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」(Ref No.C08011397300~C08011400800、アジア歴史資料センター)

「2 対馬警備隊所有総数量(2)施設」(Ref No.C08011397300、アジア歴史資料センター)

「引渡目録 訂正表」(Ref No.C08011051500、アジア歴史資料センター)

「佐世保防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030432000~C08030436800、アジア歴史資料センター)

「鎮海防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030456900~C08030457500、アジア歴史資料センター)