「その3」では赤丸の所から砲座群を見ていきます。

 

左上に前回見た砲側庫①が見えますが、ココから右を見ると...

 

棲息掩蔽部に下る階段があります。

 

掩蔽部は最後に見るのでスルーして進むと、南東の角っこに石垣で囲われた空間があります。見取図では(d)としました。

 

端にある階段を上がって撮っています。

 

床面にブロックや土台が残っていますが、おそらくキャンプ場の施設跡でしょう。

この(d)のスペースには砲側庫①の階段が直結していることから、十五糎臼砲の砲座として使われたのではないかと推測しています。

 

位置を変えて南西方向を見ています。臼砲砲座(仮)の隣にある一段高い場所は砲座Bです。その奥は砲側庫②→砲座Cと続きます。

 

砲座Bに上がるスロープです。

 

砲座A,B,C,Dは加農砲の砲座と推測していますが、配備された九糎加農砲は車輪付きでしたので、砲座への移動はこのスロープを用いたのでしょう。なおスロープ付き砲座は九糎や十二糎の軽砲加農ではよく見かけるスタイルです。

 

砲座Bの前面には胸墻が残っています。

胸墻には赤矢印の所に2つの凸部がありますが、左側は壊されていますし右側も何か違和感を覚えます。

 

右側はスロープになっていますが、スロープの上に胸墻の上部レンガが露出していますので、おそらくスロープは後から設けられたのではないかと思われます。

 

砲座内を見ていますが、左側の胸墻が破壊されている所から先に無駄なスペースがあります。

 

おそらく赤丸の部分には横墻があって盛り土されていたと推測しています。イラストで描くとこんな感じ。

 

さて、砲座Bの床面はコンクリートですが、胸墻の凸部の前に方形と弓形の窪みが確認できます。

これは火砲据付の砲床で、方形に車輪、弓形に砲尾を置いたと推測されますが、この件については次回「その4」で考察します。

 

砲座Bはこれくらいにして砲側庫②です。砲側庫①と同じく地下ですが、ここもブロック塀でふさがれています。

 

ところでこの壁の石積みですが、石が1つ1つ離れてあっち向いたりこっち向いたりしています。先ほどの胸墻も同様でしたね。

これは下関要塞特有の積み方で他地域の要塞では見かけませんが、人造石工法と呼ばれる土木技術を用いて作られたものではないかと思われます。

この壁がふんだんに使われているのは下関要塞火ノ山第四砲台ですので、過去記事のリンクを貼っておきます。

下関要塞探訪69 ~火ノ山 第四砲台 その1(堡塁周回) -書換-

砲側庫②の上に石積みがありますが、通気口は後方のヤツでしょうね(^^;

砲側庫①の通気口は土管が突き出ていましたがこちらにはありません。開口部もふさがれているようですね。

 

砲側庫②を過ぎるとT字路になっています。

 

石垣で囲われた(e)のスペースです。

 

端っこに階段。

 

見下ろしてみる。左上は砲座Cです。

 

さてココの用途は何でしょう?

先ほど見た(d)と(e)のスペースは加農砲座BとCを挟むように配置されています。(d)と似たような感じですが、こちらの(e)の方が幅広く石垣も高く排水溝も設けられているので違いがあります。ただ、(d)のスペースを臼砲砲座(仮)としたので、(e)も同じ用途だとバランスが良くてしっくりくるんですよね(^^;マタツゴウヨク...

 

そう考えると三方に射撃ができるので美しいです。

 

 

砲座Cです。造りは砲座Bと同じですが、床面のコンクリートがよく分かります。

 

砲側庫③の入口です。

 

上屋は管理人さんが自作されたとおっしゃっていましたが、2013年のTVドラマの撮影で使用されるにあたり美術さんが扉を設置されたそうで、撮影後の今でも使われています。ただ、堡塁のあった当時はどうなっていたのか気になりますね。

 

ちなみに、通常ココはカギがかかっているので入れません。管理人さんがいる時には開けてもらえますが、不在だと中を見ることができません。私も3回目の訪問でようやく見ることができました(・∀・)

 

いざ内部へ!階段を下ります。

 

部屋の入口。小窓が2つあります。トンネル内の掩蔽部と同じ顔ですね。

 

内部は漆喰の白塗りが施されており、壁の下には排水溝も設けられています。

 

入口を振り返って見ています。

 

奥に通気口がありますが、ゲジゲジさんがいっぱいでグロ注意ですw

 

通気口はこんな感じで突き出ていますがおそらくコレは後付けで、本来は矢印の石が通気口を囲っていたのでしょう。その2で見た笠付きだったかもしれません。


 

しかしこの砲側庫③は変わった造りをしていますね。砲側庫①や②のように両側に階段を設けた半地下式は他地域の砲台でもよく見ますが、このタイプはココでしか見たことがありません。おそらく地形的に両側に階段を設置できなかったのでこの形になったのではないでしょうか。

 

では4つ目の砲座Dを見に行きます。

砲側庫③の先を左折して下ると砲座があります。

 

これまで見てきた3つの砲座と同様に胸墻が残っています。

 

砲座後方にスロープがあり、下ると中央広場に戻ります。

スロープの床面は後世に敷かれた物ですが、スロープ自体は当時もあったのかな?

 

以上で「その3」はお終いです。続きはまた明日。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「明治期国土防衛史」(原剛著、錦正社)

「廃止予定堡塁補助建設物除籍の件」(Ref No.C03011691600 アジア歴史資料センター)

「工兵第3方面 矢筈山堡塁被覆壁変移の件」(Ref No.C03023066900 アジア歴史資料センター)