10月末の由良要塞探訪のレポが終わりましたので、再び山口県の戦争遺跡カテゴリーに戻って寺内正毅元帥ネタを続けます。

 

寺内正毅元帥については以前の記事をご覧ください。

 

今回紹介する「寺内正毅元帥題のトンネル扁額」は、JR山口線の仁保(にほ)駅~篠目(しのめ)駅間にある全長1,897mの田代トンネルに掲げられています。

 

JR山口線(当時国鉄)は、大正2年(1913年)に小郡駅(現在の新山口駅)と山口駅間にて開業しました。大正6年(1917年)には篠目駅まで延伸しましたので、扁額の掲げられた田代トンネルもこの時から使われ始めたことになります。

その後、大正12年(1923年)に島根県の石見益田駅(現在の益田駅)まで伸びて全線開通となりました。

 

地図にて場所を確認します。

 

山口線は寺内家の地元である宮野を通過します。正毅さんが亡くなったのは大正8年ですが、先にも書いた通り大正6年に開通していますので、開通により地元が発展すること、住む人々が便利になることを喜んだことでしょう。

 

さて、「寺内正毅元帥題のトンネル扁額」は仁保側のトンネル出入口の上に掲げられています。

 

アップで掲載。右から読んで「柔遠能邇」と書かれており、縦に「正毅題」とあります。

 

「柔遠能邇」は中国最古の詩集である「詩経」に収められている漢詩の一節です。

民が労苦から解放されるようにああしたらいいこうしたらいいと訴える内容の漢詩ですが、「柔遠能邇」は遠きを柔らげ邇きを能す、つまり「遠い所にいる人々も近くの人々も慰め労わって安ぜよ」と言うことらしいです。(全然違っていたらすいません^^; )

この言葉が鉄道トンネルに掲げられた理由としては、鉄道開通によって遠くも近くもこれで便利になり、地元も発展するだろう的な意味合いが込められているのではないかと思われます。正毅さんの地元愛を感じますね(・∀・)

 

ちなみにこの場所はSLやまぐち号の撮影ポイントとなっており、田代の直線と呼ばれています。

 

数年前に撮った貴婦人。

 

ところでこのトンネルの逆、篠目側の出入口には田中義一さんの扁額が掲げられていますがまだ見たことがないので、いずれ紹介したいと思います。でも逆側から撮影できるのかなぁ(^^;

 

以上、寺内正毅元帥書のトンネル扁額でした。

 

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