今回は、昨日紹介した記念碑のある礼拝山周辺に残る地下壕を見ていきます。
礼拝山は下関市豊浦町の室津海岸を望む場所にありますが、地下壕をマークした海岸周辺の地図を掲載します。
海岸周辺には3ヵ所の地下壕が残っています。南側の赤丸2ヶ所は今回紹介する礼拝山周辺の地下壕、北側の赤丸は次回取り上げる烏山麓にある地下壕です。
地下壕と言うと、軍が掘った陣地の跡なのか、民間の防空壕なのか迷うところですが、この地域は戦争末期の昭和20年(1945年)、室津海岸からの米軍の上陸を想定して陣地の構築が行われていました。また、礼拝山の地下壕は低山とは言え山の高い場所に作られていますので、民間防空壕ではなく軍の陣地跡だと判断しています。
参考リンク
では【礼拝山周辺の地下壕】を見ていきます。
地下壕の場所と昨日レポートした記念碑をマークしました。
まずは、地図で言う下側の地下壕から紹介します。
地下壕の開口部は2ヶ所ですが、こちらは北側の開口部です。
素掘りですがしっかりと掘られています。
入って3mも行くとT字路です。左側はちょこっと進んで行き止まり。
右側はこんな感じ。10mほど先に出口が見えます。
外から出てきた穴を見ています。これが西側の開口部です。
この西側開口部の前を見ると、交通壕のような道があります。
以上のように地下壕の規模は小さいですが、行き止まりの部分は掘りかけだったのかもしれませんね。
もう1つの地下壕は、少し離れた標高61mピークの手前にあります。地図で言うと上に書いた地下壕です。
入口が見えます。
土砂が流れ込んでいて狭い隙間ですが入れます。
内部は広くて高いです。
まっすぐ伸びた先に出口が見えます。せいぜい10mくらいでしょうか。
さすがにこれでは出れません(・。・;
出れなかった開口部を外から。白い瓦礫が置かれている箇所です。
そしてこの開口部の前は、切り開いたような平坦地が広がっています。
以上、礼拝山に残る地下壕でした。