◆砲台名:生月砲台

◆起工:昭和12年(1937年)7月6日

◆竣工:昭和13年(1938年)12月12日

◆備砲:96式15㎝加農砲 2門

◆設置標高:107m

◆参考リンク:「壱岐要塞の概略」はこちら→→→

 

生月島(いきつきしま)は平戸島の北西に位置する縦に細長い島です。

生月砲台は壱岐要塞6砲台の内最後に完成し、島の北部に設置されました。備砲は96式15㎝加農砲2門で、壱岐海峡及び生月島西部に出現する敵艦船の撃退が任務でした。戦争末期の昭和20年になると、露天砲台から洞窟を掘削して火砲を移設、穹窖砲台を構築して本土決戦に備えることになりました。

なお、島の北端の大バエ鼻には海軍の14㎝砲の穹窖砲台が2門構築されましたが、これについても後編の最後に触れたいと思います。

 

全体地図は上のリンクを辿ってもらうとして、砲台の見取図を掲載します。

 

道路から元軍道を進むと、「兵舎」があります。

「兵舎」ではなく別の用途の建物かもしれません(^^;)

 

続いて「発電所」です。

機器を設置した台座が残っています。

 

発電所建物のそばにあります。

的山大島砲台でも同じ物を見かけました。

 

「観測所」下部にある地下施設への右出入口です。

 

入口は二重構造で分厚い鉄扉があったと思われます。

 

通路の片側に4部屋並んでいます。まずは一番手前のオープンスペース。

 

奥の壁に「弾丸置場」「砲具置場」の文字が残っています。

 

続いて、「弾薬庫」が2つ並んでいます。内部から撮影。

片側の壁に窓が1つ設けられています。

 

4部屋が並ぶ面とは逆の壁面に、「観測所」1階への階段があります。

 

内部から上方を見上げています。

ちなみに、天井に描かれたいくつかの線は観測方向を示しています。

 

床面には機器の設置台座跡が残っています。

 

この「観測所」には88式海岸射撃具が装備されていたようですので、この1階部分に測遠機を設置し、2階の天井に見られる四角い穴から潜望鏡をニョキッと出して観測していたのでしょう。

なお、現在は1階から天井を見通せますが、当時は2階の床面には鉄板が張られていたのではないかと思われます。

 

では2階に上がってみますが、一旦外に出て後方の出入口から入ります。

 

2階の内部です。

 

前方部分です。

スリット窓には鉄製の支柱があったと思われますが1本も残っていません。屋根が落ちないか心配です(・_・;)

 

1階部分を見下ろしています。

天井から伸びる線の下(スリット窓上部)には観測方向の地名が書かれています。

 

通信室と言ったところでしょうか。

 

では、「観測所」の前に回ってみます。

なかなか立派な面構えです(・∀・)

 

長くなってきたので続きは「中編」にて。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「壱岐要塞兵備資料」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「歴史群像 2019年2月号」(学研)