昭和20年(1945年)5月下旬、下関要塞の火砲を現陣地より転移せよとの命令が下されました。これに伴い、宗像市沖に浮かぶ大島に配備されていた下関重砲兵連隊第6中隊(15㎝加農砲4門)は第145師団の隷下に入り、2門は大島島内の津和瀬に、もう2門は本土の垂水峠に洞窟陣地を構築して移設されることになりました。

 

◆参考リンク:下関要塞の本土決戦準備 →→→

 

場所を地図で示します。

 

第145師団は昭和20年4月に編成された部隊で、洞海湾の西(八幡・若松)~宗像までの沿岸地帯(大島も含む)の防御を担当していました。特に芦屋沿岸に重点を置き、海岸西側の垂水峠と東側の浅川に各々15㎝加農砲2門の陣地を構築しました。

なお浅川の加農砲(下関重砲兵連隊第1中隊)は蓋井島からの転移ですが、上の地図で示した場所は推定となります。

 

垂水峠洞窟砲台は、福岡県宗像市と遠賀郡岡垣町の境にある垂水峠の北に構築されました。砲台は完成していたようですが、備砲直前に終戦となりました。

 

垂水峠から湯川山に登る登山道直下に2つの砲台跡が残っています。

では、まず1つ目です。

吉見や津和瀬で見た洞窟砲台と比べると形が違いますね。こちらはカマボコ型です。

なお砲座前は若干平坦なスペースとなっています。

 

内壁の破損が随所に見られます。

 

鉄筋が入っているようなので、鉄筋盗りに削られたせいで破損が多いのかな。

 

土砂の流入や枝木により砲床部分は確認できません。

 

この先は坑道が伸びていたのかな。

 

内部から外を撮影。

 

続いて2つ目の砲座です。

形は1つ目と同様にカマボコ型です。

 

内部です。

1つ目の砲座より破損が大きいですね。

 

前部の壁が削り取られてしまっています。

 

天井に鉤状のフック?があります。

 

奥の壁にある出入口は1つ目の砲座と違って土砂の流入がありません。奥に進めるのかと思ったら岩盤でダメでした(-_-;)

 

入って左側の隙間。進めませんでした。

 

内部からの景色。

1つ目の砲座と大して変わりませんw

 

以上、垂水峠洞窟砲台でした。

 

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[参考文献]

「下関要塞守備隊戦史資料 昭20.11.25」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第145師団戦史資料 昭20.11」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「下関重砲兵連隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「福岡県の戦争遺跡 福岡県文化財調査報告書 第274集」(福岡県教育委員会、2020)

「国土地理院地図(電子国土web)」