※2022年2月に再訪しました。あわせて再訪記をご覧下さい。

 

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◆砲台名:石原岳堡塁

◆起工:明治30年10月21日

◆竣工:明治32年12月31日

◆除籍までの経過:

・大正2年 要塞整理要領にて廃止の予定となる

・昭和4年6月14日 全部除籍

◆備砲:克式中心軸35口径10cm加農砲 6門、9cm臼砲 4門

◆設置標高:77.10m乃至73.10m

 

◆佐世保要塞の概略はこちら→→→

 

石原岳堡塁は、上陸した敵兵を撃退することが任務であり、背後にある面高堡塁、高後崎砲台そして港口に敷設された水雷を守るべく設置されました。

 

地図で場所を確認します。

 

佐世保湾への出入口である狭い水路を挟んで、北が佐世保市、南が西海市となります。現在石原岳堡塁の場所は「石原岳森林公園」として遺構を残しつつ整備されていますので、道なき道を進んだり藪漕ぎしたりすることなく、ある意味安心して探索することができます(笑)

 

略図を掲載します。

陸上戦を想定した堡塁ですので、土塁で囲まれた広い敷地を有しています。

なお、この堡塁は「側防窖室(そくぼうこうしつ)」を有しており、これが最大の見どころでもあります。土塁を乗り越えて内部に侵入してきた敵に対し、小さな小窓(銃眼)から射撃をして敵兵をばったばったとなぎ倒すための小部屋です。

 

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見どころの側防窖室はおいおい書くとして、まずは堡塁内部に入っていくことにします。

 

堡塁の入口。門柱が1本残っています。

 

蝶番が残っています。

 

門柱を越えた右手に「石原岳森林公園」の案内板があります。

 

では中に入っていきます。

 

階段を上がると砲座と砲側庫、地下には棲息掩蔽部があります。

 

まずは地下から見ていきます。

下った先、正面の小さな掩蔽部は井戸部屋です。

 

横一線に9つの部屋が並んでいます。

赤レンガではなくすべて石積みです。

右から2番目から7番目の掩蔽部には、入口上部に「第一號~第六號」の番号が付されています。番号ありの部屋は兵舎や炊烹所、番号なしは弾薬庫などの用途で使われていたものと思われます。

 

第一號の内部です。

隣の第2號と繋がっていたようですが塞がれています。

 

第3號の窓に残る木枠。当時のモノなのかな。

 

番号なしの2部屋と、側防窖室へのトンネル通路の入口が見えます。

 

階段を上がったところの風景。

奥の方から地下におりて、手前の階段から上がりました。右側に写っているのは炊事棟です。

 

今では炊事棟として使われていますが、元々ここには浄化槽が設置されていたのではないかな。

 

続いて棲息掩蔽部の上にある砲座群を見ていきますが、続きは中編にて。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第七巻 佐世保要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)