『あの日』に関するエトセトラ | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 まつもと泉氏の訃報があったのを機会に、『きまぐれオレンジ★ロード あの日にかえりたい』についての回想を数回に亘ってツイッターに投稿した。この内容は、親しい人にならしゃべったこともあるが、公式の場で話したり書いたりしたことはこれまで無かった。

 驚いたことに、おれとしては初めての3000以上のリツイートがあったので、こちらのブログにも載せておこうと思う(多少補足しているが内容は同じです)。

 

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 『きまぐれオレンジ★ロード あの日にかえりたい』を作ったことで、おれは原作を壊した人間のように言われてきた。まつもと泉氏からはかなり憎まれていたと思う。

 まつもと氏とは一度だけ会ったことがある。『あの日』の作業が進み、アフレコ直前の頃だった。先方から会いたいというオファーがあったのだ。

 

 喫茶店でまつもと氏は、アフレコ台本を見ながら、『あの日』の内容は全然違うということをおれに言った。氏の手元の台本には、「こんなのはまどかではない!」などのメモがたくさん書かれていた。

 しかも驚いたことに、アニメ映画化が決定し進行していることを、数日前まで知らなかったのだと言う。原作者に対するこの扱いは、今ではちょっと考えられないことだ。とても気の毒だと思ったのを覚えている。

 当時まつもと氏は精神的な問題でマンガも描けない状態らしいと聞いてはいたが、それにしても。

 

 まつもと氏と面会した数日後に、そのままの内容で制作を続けてよいという連絡がスタジオにあった。作画も終わりかけている段階だったので中止はあり得ないわけだし、氏が大人だったということなのだろう。

 ただし、当時ビデオとLDは発売されたが、その後DVDとBlu-rayは氏の意向で発売されていない。お互いさまと言っていいのか分からないが、現在は基本的に観ることができない状態である(フランス版は出ていて、それを入手した人もいるらしいが)。

 色々あったわけだけれど、ご冥福を祈ります。

 

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 以上のツイートにコメントで質問があって、それが次のような内容。おれの回答と合わせてここに掲載しておく。

 

清水耕司.5th

原作者が置いてけぼりなのは当時よくあったことだと思いますが、当時リアルタイムで見ていて衝撃を受けた者としては、じゃあ誰の意向であの路線が決定されたのか、が気になります。私は好きな作品なだけに。

 

「それは、どう考えてもおれですね(汗)。最初にプロットを書いてその路線に沿って寺田氏に脚本を書いてもらいましたし、東宝やぴえろのプロデューサーでも反対した人はいませんでした。試写会でぴえろの布川社長が「傑作だ」と拍手してくれたのを覚えています」

 

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 『あの日にかえりたい』に関してはもう一つ、ずっとモヤモヤしていることがあって、それもついでに書いてしまおう。

 上記のとおりおれは原作者から嫌われてしまったわけだが、脚本の寺田憲史氏はその後もまつもと氏とは良好な関係だったようで、『新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり』のノベライズではまつもと氏本人がイラストを描いたりしていた。

 

 その本の後書きか何かだったと思うのだが(別のところだったかも知れないが)、寺田氏が『あの日』のことに触れていた。

 『あの日』の脚本を手掛けるにあたって、まつもと氏が寺田氏に対して「あんまりひかるちゃんを可哀想にしないでくださいね」と言ったというようなことが書いてあったのだ。

 しかしまつもと氏は上にも書いたとおり映画化自体を知らなかったのだから、そんなことを言ったはずがない。だからこのエピソードは寺田氏の作り話だとしか考えられないのである。