第100回・ショートネタでコニャニャチハ | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

〇総理が沖縄がらみの発言をするとき、いつも「沖縄の人々に寄り添い~」と言う、その言葉の選び方が空虚すぎる。ムリに寄り添わなくていいです。単に、沖縄に罰を与えているかのような政策を具体的に改善すればそれでいいと思うのだけど。

 

〇「自己責任」という語は、決意を表す潔い意味合いも持っている。だから正義のフリをするのに使い勝手がよいのではなかろうか。何しろ、かつて政府が率先して使った言葉だからねぇ。

でも政府の尻馬に乗るのもカッコ悪いでしょ? 安田純平氏を非難する人々は、はっきりと「自業自得だ」と言うことにしたらどうだろうか。

 

〇法律による罰則で「××円以下の罰金または科料」というのを聞くことがありますね。罰金と科料って何が違うのかと思って調べたら、1万円以上が「罰金」で1万円未満が「科料」だって。そこで言葉を分ける意味って何?

 

〇小学校の算数で「かさ」を習った時、先生がガラス製のリットル枡デシリットル枡とを見せて「この正式な枡は、普通の家庭などに売るのは禁止されている」というような説明をした。確かに家庭にはアルミやプラスチックの計量カップしかなかったものだ。その時は「そんなバカな」と思ったが、今思い返してもそう思う。だし汁1カップとか水2カップとか、とにかく「かさ」を正確に測ることを、一般の国民は禁じられていた(いる)のか?

 

〇報道ワイドショーみたいな番組を見ていて天気コーナーになると、「現在の渋谷の様子です」かなんか言って、毎日必ずハチ公交差点を俯瞰した映像を流すのだ。渋谷に本拠地があるNHKならまだしも、他の民放もたいがい同じなのだ(全部かどうかは未確認だが)。そんなにいつもいつもあの交差点を定点観測する必要があるのだろうか。ノーアイデアすぎないですか?