「慎重」が不思議でたまらない | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 新聞記事でもテレビニュースでも、警察が「慎重に調べている」という表現がよく出てくる。見ているとけっこう頻繁である。これが出てくると、いろんな疑問が頭の中に“わーっ”と湧いてきて気になって仕方がない。

 以前にも書いたことではあるけれど、未だに疑問は解決されてないのだ。

 

 1020日付朝日新聞の「和光の夫婦殺傷 15歳の孫が供述 殺人未遂容疑」という記事を見てみよう。

 祖父母を殺傷して逮捕された少年の供述内容が捜査関係者への取材でわかった、という文章の後に、

〈県警は動機について慎重に調べている。〉

 という文が続いている。この「慎重に調べている」という記述が理解できない。つまりこれを書いた記者の意図が分からないのだ。

 記者は、警察が本当に「慎重に」調べている現場(この場合はつまり少年の取り調べや関係者への聞き込みと思われる)を直に見ているのだろうか。捜査にぴったり密着できるものでもなかろうから、単なる臆測なのか。臆測だとしたら勝手にこんなふうに事実のように書いていいのか。

それとも警察が「慎重に調べています」と発表したのをそのまま書いているのだろうか。その際は「慎重に調べていると述べた」とか「慎重に調べているらしい」とか書くべきではないか?

 

 そもそもなぜこのように、「慎重」かどうかを記事の中に書き込む必要があるのだろう。では「慎重に調べている」と記事に書かれていない事件の場合は、警察は慎重に調べていない、または適当に調べている、と解釈していいのだろうか。

 記者が単なる推量で「慎重に」と書いているとしたら、あたかも警察に対する好感度を上げようとしているようにも見えるが、どうなのだろう。また、仮に後になってその捜査がずさんだったことが判明したとしたら、それは虚偽の記事だったということにならないか?

 そしてこの記事の最後は次のように締めくくられている。

〈「学校に許せない生徒がいた」とする供述についても、慎重に裏付けを進める。〉

 一つの記事で2度目の「慎重に」の登場だ。今回は「慎重に裏付けを進めている」ではなくて「進める」と未来形だから、間違いなく臆測である。本当に慎重に進められるのかどうか、記者は責任が取れるのか?

 

 やっぱり「慎重に」は疑問だらけだ。従ってほとんど全部が疑問文という内容になってしまったよ。記事から引用した上記の二つの文章、「慎重に」の部分を取っ払って読んだら実にすっきりするはず。