天職を得て天使になった人たち ② | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき



「ビギナーズ・ラック?」と思い込んで仕事をしているのが向井さんだ。

会うたびに「お年寄りが大好き。お年寄りの世話をするのは とても楽しい」と言われる。

介護の仕事を始めて半年を超した。重度の認知症老人の世話を主にやっている。今まで別の仕事をしてきたが 結婚してご主人の介護の仕事を手伝いようになり 生き生きとし始めたという。


先日 お風呂が大嫌いで 泣いたり暴れたり介護者を叩いたりする重度の認知症の婦人をまかされた。向井さんが体を洗い始めると いつものように暴れ出し、ピシャリ ピシャリと手を叩く。痛くて仕方ないが 心が勝手に「ありがとうございます。体を洗わせてくださって ありがとうございます」と働き始め 気が付かぬうちに その婦人に向って「ありがとう」を連発していた。


すると ピシャリ ピシャリとやっていた手を止め、逆に向井さんの手をさすり「お互いさまですよ」と言って おとなしく体を洗わせ始めたという。洗い終わって目が合い にっこりし合って胸がときめいた。


これは単なる「ビギナーズ・ラック」だろうか。今 向井さんはお年寄りの介護が嬉しくて仕方ないという。世話する方々が皆「ありがとう」を下さり 自分も「ありがとうございます」とお返しするという。

この方も 天職を得て天使になりつつある。心の深い部分で感謝を覚え 心を尽くすと顔まで変わる。うらやましいくらいに笑顔がいい。


もう一人だけ紹介しておきたい。

今この田舎町の南小国町で 郵政公社に勤める武田君だ。

武田君も中学・高校でその正直さのために 友人に笑われながらも人に喜ばれることが大好きで、地元の高校でも 誰も立候補しない生徒会長を自ら選び 責任を果たした。

今は 土・日の休日に村に一人で住むお年寄りを慰問し、自分にできる事はないかと尋ね 人に役立つ事を探している。武田君の手探りで素朴に生きている姿は感動する。

純朴だが 内なる声に従って、自分の都合だけに生きず 自分だけの思いを求めず 自分の使命を手探りしている姿は美しい。たくさんの人たちが彼に拍手を送りつつある。

欲に生きる人たちに比べて 天使になりつつある人の笑顔は素晴らしい。命の輝きを感じる。


私の20代・30代の頃 大野さんや向井さんや武田君のように 人の為に祈り 人のために人生を尽くそうとしただろうか。

過去を消せる消しゴムがあったなら あれこれの汚れを消したい思いでいっぱいだ。

天使たちはみな 笑顔が素晴らしく やさしい目をしている。



(月刊致知2004年7月号)




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