仏陀のことばに従って ② | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

<2003年月刊致知10月号より48回にわたり連載された「三農七陶」から抜粋します>


・・・前回つづき



この文明社会で育てられた私には 仏陀の言う「すべてを捨てて さすらう」のはできない。

でも 私や 私の周りの人々が苦しんでいる根本の一つに 「この人生限り」という思いがあるからだとわかっている。

今の時代 学識のある人が 食べる事に執着し 地位と欲の張り付いたプライドに執着し 恥を捨てて不正義に走ってしまう。


私たちの魂は 転生を繰り返し、今世 自分たちがしたことは、次の転生でそのすべてを自分たちが津償うことになるのを 知らないのだろう。

多くの人は 都会生活を楽しみ 知に従い 心に従わず、転生や自然の働きや 見えない天地の働きに目を向けようとしない。


もし 魂があることに気づき 転生を認め、それを自覚すると 現代の社会苦の大半が仏陀のいう 欲と執着に因っていることがわかってくる。


今の自然破壊や不正による社会不安や 不道徳による乱れや 快の追求による他者への苦しみ、また幼児や動物への虐待は次の転生で 自分たちへの途方もない苦となり 全部次の世に転生した自分にかかってくるのだから。

その処理に膨大なエネルギーで対処しなければならないと知ると、今の生き方や考え方や 心のあり方を改めなければならないとわかるだろう。


若い人もケイタイや お金や 自分の都合だけに生きてゆかず 優しさや善意をもっと他人にも 環境にも投げかけなくては・・・自分が将来 苦しむだけなのだと教えてあげたい。


名誉や高い地位が何になろう。

そんなものが 自分の品格を高めてくれるのではない。

利を追わない心や 人を救いたい気持ちや、優しいエネルギー 温かみのあるまなざしこそ、その人の人生のあらわれ。


どんな高い地位にあっても 利に合わないことで また鋭い経済理論で人を切って捨てるならば「徳の人」とは言われない。

人を苦しめてはいけない。

自分だけ楽しんではいけない。

たくさんの人々と頒かち合い できるだけ穏やかに生きてゆきたい。


今年もまた 社会苦の原因を見極めて それに溺れないように気をつけて生きてゆきたいものだ・・・。



(月刊致知2004年3月号)




満願寺窯 北川八郎