初夏の風に吹かれて | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


2000・6・27 no74


初夏の一日゛のんべんだらり゙と過ごした。こんなふうにダラリと過ごすのもいいものだ。平和で穏やかだからこれができる。朝から一日中 外の緑を眺め コーヒーを飲んでいた。日が昇り 日が沈むのを何もしないで見つめていた。


だらしない自分を責めず 人にも何も求めずにいると自由な気分になれる。ゆっくりと流れる時間に浸っていると 人や花や木がいとしくなってくる。富を追うことや稼ぐことを急がなくなってしまう。ものを所有する重さが嫌になり 名の知れる人になりたいという欲求も薄れてくる。すると人に良く思われたいという自分を繕う気持ちがなくなり 人の自分に対する思惑が気にならなくなってゆく。


キラキラと身を飾ることに寂しさを感じ 清潔な服装と洗い立てのシャツで十分輝き始める。以前ほど成功や生活の向上に関心がいかなくなる。今の仕事の中で自分を充実させてゆく楽しさに気づくと 人とのつながりの中で生き 精神的に安定した一日の方を選ぶ。


怒りに気をつけ 怒らない日を持ち始める。そうすると周りに尊敬する人がたくさんみつかり ありがとうばかりを言う自分に気づく。人との出会いを楽しみ その人を好きになればなるほど 毎日のごく平凡な出来事の素晴らしさに感謝する。感謝ばかりしている人に出会うと 人にはそれぞれの人生の目的があり この世に何をしに来たかを気づかせてくれる。


良きこともつらいことも いっしょくたに背負い込みながら 私たちは魂の海に流されてゆく。自分のことと お金にしか関心のない人は また同じ転生を繰り返すことになるかもしれない。