息子の通うJ学園中学。
先日授業参観で音楽の授業を見学した。
この学校は音楽の授業がわたしはだいすき。
教員は生徒になにもおしつけない。
ただ音楽を差し出している。
「ぼくたちはきみたちがとても大切。
そして音楽をあいしてる。
ぼくたちのだいすきな音楽できみたちとかかわりたい」
教員のピアノからそんなきもちが
直接むねにひびいてくるようだった
生徒達しあわせだなあ。
いつもこんな授業をうけて。
気がついていないかもしれないけど・・・
親鸞聖人の教えに出会う前 よいことってなんだろう、自分のやろうとしているのは偽善ではないか?
自己満足ではないか? などと思いよいことをするのに躊躇していた
しかし仏教にであって衝撃をうけた。
善因善果、悪因悪果、自因自果
偽の善でも善は善。よいことをしなければよい結果はかえってきませんよ。
自己満足では?などという軟弱な感傷的ないいわけをこなごなにされた。
幸せになりたければよいことをするしかない。
なんてはっきりした。
なんて厳しい。
底知れない、と感じた。
善に向かわない自分は怠惰なだけだったとおもった。
数年前こどもたちと漫画「デスノート」にはまってコミックスをよんだり
アニメをみて怖がったりしていました。
主人公のライトくんがデスノートをつかって悪人を殺していくという話。
ライトくんは頭がいいので自分がデスノートを使っていることを隠し
殺人をかさねます。
こわいのは、ライト君が自分のしたことをたくみに隠して
完璧だと思われたことが「L]という探偵によってつぎつぎあきらかになって
将棋のようにおいつめられていくところ。
蒔いたタネが芽を出し実を結ぶように
たとえうまく隠して自分さえ忘れてしまった悪のたねまきでも
いつか必ず自分に結果があらわれる・・・おそろしい悪い運命として。
こわい!
悪いことはしちゃだめなんだなあ、と子供とはなしあったことだ。
作者は単なるエンタテイメント作品ですとかいていたが・・・
そんなことを感じさせられたものでした。