羅漢拳   第29回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

第29回
「なあ、うちの高校の入校案内のポスターをやってくれないか。」
S高校の裏手にある小山の上から自分たちの校舎を見下ろしながら担任の畑筒井と吉澤ひとみの二人は並んで座っていた。
「実は校長から頼まれているんだよ。吉澤をうちの高校のポスターに使うようにって。」
畑筒井はそう言いながら手には一眼レフのカメラを持っていた。おわんを伏せたようなS高の裏山には背の低い草が木の下に一面にはえていて絨毯のような役割をはたしている。ここで寝ころぶことも可能だがそうすると青春映画の一こまとなるが相手が畑筒井では不自然な感じがする。小山の上からはまだ建てられてから数年しか経っていないS高の建物が数字のエルを逆にして校庭の右側に見える。その建物の背後にはうち捨てられたウエートリフティング部の掘っ建て小屋が小さく見えて下にいるときには見えなかった屋根の錆び付いた様子がここではよくわかる。遠く離れたところにアンテナ公園の観覧車が遠く離れているにもかかわらずそれなりの大きさで見える。その近くにK病院の妖しい威容が黒いシルエットとして浮かび上がっている。その病院の背後の森の奥の方に逆さの木葬儀場があるのだろう。S高校が建てられたのもここら一帯の名士、福原豪の影響があったからに違いない。だからS高校の校舎を作っているコンクリートを粉々にうち砕いてもその小さな一粒一粒に福原豪の威光が入っているのかも知れない。その事はK病院に関してはなおさらだ。だから松田政男の殺人事件に関してももとを辿っていくとこの栗の木市の名士である福原豪に行き着くかも知れないと吉澤ひとみは思った。全ての元凶は福原豪にあるのだとしたらこの奇妙でゆがんだK病院を作ったことやほかにでもあるだろう彼のこの市での金持ちであることや政治家としての圧倒的な権力を利用しておこなわれた横暴がそもそも何を持ってして福原豪を動かしているのだろうか。
「吉澤、校長のたっての希望だからな、聞いてくれるな。」
吉澤ひとみは立ち上がりながらこの小山から下界の景色を見ていることに気をとられてここに担任の畑筒井と来ているということも一瞬忘れていた。畑筒井は膝を抱えながら振り返った吉澤ひとみの顔を見た。
「それで物は相談なんだけど、前にも喫茶店で僕の婚約者と会ったやろう。」
「先生の未来の奥さんでしょう。神戸あずささん。」
「そう、あいつのおばあちゃんが**京で定食屋をやっているということは話したやろ。吉澤が**京へ行ったときそこへ行って飯を食ったとき写真を撮らしてやったという話。」
「ええ。」
「それでな、そのおばあちゃんが吉澤のことをすごく気に入っているというんや。うちの未来の嫁さんに頼まれて普段のときの吉澤の写真が欲しいと言うんや。おばあちゃんにやりたいんだけどこのカメラで写真を撮らせてくれないやろうか。」
「ええ、先生、ここでですか。」
「この赤松の林を背景にして撮るといいんやないかと思うんや。」
そう言いながら畑筒井は背景を物色し始めていた。
「この赤松がいいんやないか。雰囲気があるで。この幹のごつごつした感じなんかが、吉澤、悪いけどこの赤松の前に立って微笑んで欲しいんや。」
畑筒井は婚約者のおばあちゃんにかこつけて吉澤ひとみの写真を撮らせて欲しいと言ったが本当は自分の目的からだった。確かに婚約者の親族は関係があるのだが、その影響で多少写真にこり始めていた。この前の生徒と一緒に行った遠足のとき、カメラを持って行き、生徒を写してカメラ雑誌に応募したところ三等をとった。そこで欲が出て来た。被写体にもっと魅力的な対象を選べばもっと上位に行くのではないか、そこで吉澤ひとみに白羽の矢が立ったのである。吉澤ひとみがポスターのモデルになってもらうという話しは本当だったが、おばあちゃんの方の話は嘘だった。そこで少しうしろめたい気持ちもあっておばあちゃんの話を持ち出したのである。担任を持っている教師ほど被写体に困らないものはない。相手は活きのいい魚みたいなものだからある程度結果が期待できる。畑筒井の同級生で東京で高校の教師をやっている友達は生徒を使って二年に一度くらいづつ自主制作映画を作っている者もいた。それが教育者としてどうかと言うことになると個々のいろいろな場合があるだろうが、若い綺麗な女子生徒を撮るという部分では本人もうしろめたい気持ちがあることで証明されているように内心、不純なものがあるわけで、教育者としてはあるまじき姿かも知れない。
「先生、ゴーレムって知っていますか。」
吉澤ひとみはあっけらかんとして畑筒井の内心の企みなど何の関係もないようだった。
「なんや、やぶからぼうに。」
「人間離れをしたプロレスラーがいるんですよ、たまたま松村君や滝沢君とその試合を見に行ったんです。その人に関してなんですが、ある人がアメリカに行っていてまだ弱い頃のそのプロレスラーの試合を見たことがあると言うんです。その人が見たときにはそんなに強くなくてそんなに強くないプロレスラーにすぐ負けていたと言うんです。一年か二年くらいでものすごく強くなったと言うんです。そんなことがあるんでしょうか。」
「そうやな、なくもないがな、今まで体力や筋力はあっても技とか知らなかったら、ちょっと技を覚えればそう言うことにもなるかも知れないやろ。松村たちとどこにその試合を見に行ったのや。」
「大阪府立体育館。」
そこで吉澤ひとみは信じられないものを見たのだ。しかし二十メートルはある体育館の天井から江戸時代にタイムスリップしたような墨染めの衣を着た若い僧が舞い降りて来てその巨人を倒したなどということを自分の担任に言えるだろうか。それこそおとぎ話である。
「その怪物レスラーなんですが、二人の人に会ったとき最近彼が死んだという話しを聞いたんです。一人は建築家で今泉寛司という人なんです。先生、知っています。それからもっといろいろな事も聞いたんです。もう一人は大阪府警の人なんですが、その人の話によるとゴーレムは途中降板してアメリカに帰ったそうなんです。そして帰国した途端に死んでしまったんですって。」
担任の畑筒井は吉澤ひとみが何故大阪府警に行ったのかという事は聞かなかった。
「日本の相撲取りでも早死にする例はいっぱいあるやないか。そのプロレスラーも身体が異常に大きかったんじゃないやろか。」
「身長、ニメートル三十以上、体重三百キロ以上。」
「なっ、そうやろ。」
畑筒井は自分で納得していた。畑筒井は話しに夢中になって自分が吉澤ひとみを撮るために持って来たカメラを持っていることも忘れているようなので吉澤ひとみは木の切り株に腰を下ろして足下に落ちている小枝を拾うと日本刀のおもちゃのように胸の前で振り回した。
「先生、わたしたちと大して変わらない体格の人がその巨人プロレスラーをいとも簡単に倒したという話しを信じられますか。」
吉澤ひとみはあの体育館の中で見た天井からつるされたライトを背にしてリング上に舞い降りて来た僧の夢の中の出来事のような事件を想い出していた。
「その試合会場での出来事なんですが、実際にわたしたちと大して違わない背格好の人がリング上に降りたってその巨人を倒したんです。その人物はほとんど人間離れをしていました。だって二十メートルもある天井からリングの上に降りて来たんですよ。」
「吉澤、お前も次田の親父みたいなことを言うな。」
「次田の親父。」
吉澤ひとみは怪訝な顔をした。
「誰、それ。」
「わいの昔の同級生の親父で次田源一郎という人物がいるんだ。その人が一種の夢想家で本人は歴史学者だと言っているんだけど、また変な学説ばかりたててばかりいてね。牛若丸が鞍馬の山の中で剣術修行したとき、カラス天狗が毎日やって来て剣術指導をしたというおとぎ話があるが、それが事実だという学説をたてている人物だよ。そのほかにも信じられないような突飛な学説をたてているよ。塚原ト伝は宇宙人だったとか、上泉伊勢守に剣の極意を教えた小笠原氏隆は実在しないで氏隆の家に居候していた名前のわからない巫女が彼に剣の極意を教えたとか言うわけの分からない学説を唱えているんや。」
「名前のわからない巫女って。」
「名前のわからない巫女やがな。」
「先生、そもそも塚原ト伝とか上泉伊勢之上と言われてもわからないんですが。」
講談という寄席で行われる芸能がすっかり日常生活から離れてしまってテレビに変わってしまった現代においてはもっともな話だ。上泉伊勢之上の方が塚原ト伝よりも時代はさかのぼるが同時代に生きていたと言われている。塚原ト伝は講談の中によく出て来て舟の中で兵法者に決闘を申し込まれて機転をきかして小島に兵法者を置き去りにしたことで知られている。所謂無手勝流。少し先に生まれた上泉伊勢守より新陰流を学ぶ。一方、飯篠長威斎より正真正伝の刀術を学び一派を開く、将軍足利義輝に指南もする。上泉伊勢守の方は大部、現実味をおびて来て上泉伊勢守の方は剣道と呼ばれるものの元締めのような存在である。それを名前の分からない巫女が剣の極意を教えるとは一体どういう戯れ言なのだろうか。それを次田源一郎なる人物は学説として唱えているそうだ。
「次田源一郎の学説によれば牛若丸を教えた天狗は実在して、だから牛若丸の八艘飛びの伝説も事実だということになる。」
「八艘飛びの伝説って」
「知らないなら勝手に受け流していいよ。あんなの講釈師が勝手に考え出した作り話なんやからな。」
「先生、その人が書いた本を持っていますか。」
「何年か前にわてのところに送って来たのやけど、たまたま校長が興味があると言っていたからあげたんや。きっと校長が持っているやろ。」
早速、吉澤ひとみは校長室のドアを叩いた。数ヶ月前に村上弘明たちとこの部屋に忍び込んだことを校長は知っているのだろうか。その上校長の大木章は村上弘明と喧嘩までしている。吉澤ひとみはそれらの事がまるで他人事のようにおもしろく感じていた。ドアを開けると教育者然とした態度で校長の大木章が机に座っていた。
「校長先生、畑筒井先生から聞いたんですが、校長室に次田源一郎という人の本があるそうですね。それを読みたいと思って借りに来ました。」
「君が吉澤君か。畑先生から聞きましたか。君にうちの高校の入学案内のパンフレットのモデルになってもらいたいって。」
「はい、聞きました。」
吉澤ひとみは照れることもなく答えた。すると校長の大木章はほくほく顔になった。
「次田源一郎の本はどこだったかな。」
校長の大木章は自分の机の後ろの方にある本棚に目をやった。この本棚もこの校長室に松村邦洋たちと忍び込んだとき松田政男のビディオテープがかたづけてあつた場所だその棚の上にはそのときは気付かなかったがつるつるに磨かれてもとの形が何だかよくわからなくなつてしまったライオンの置物が黒光りしながら棚の上に鎮座していた。校長の大木章は背を屈めて本箱の中をのぞき込んだ。
「おっ。あった。あつた。これやがな。これやがな。」
本箱の中にあする一冊の本を取り出すと少しほこりを被っていたので片手でほこりを拭った。
「これ、これ。」
大木章はこの本を読んだことはないし、興味も持っていないようだった。その本を扱う無造作な態度にそういった事情が読みとれた。
その本はくすんだ朱色をしていて本の背表紙のところはすり切れていた。それは何度も読まれたというより粗悪な材料を使ってその上に西日の当たるところにそれが置かれていた結果のようだった。本の厚さは二百ページくらいで表紙はくすんだ朱色をしていて細かい編み目のような凹凸がついている。広く世間にその内容を問うというより専門雑誌を単行本の体裁をとっているようだった。表紙には牛若丸伝説考究というタイトルが入っている。吉澤ひとみはその本を校長から受け取ると誰もいない家庭科実習室に持って行って目を通すことにした。家庭科実習室の入り口に行くと思ったとおり中には誰もいなかった。中は電気がついていなかったので入り口の側は暗かったが外に面した窓のそばは外光が入ってくるのでほんのりと明るかった。吉澤ひとみは窓のそばの大きな机のところに光で本が充分読めそうなところに座った。改めて校長から借りて来た次田源一郎なる人物の著作に目を通す。窓の外から入ってくる柔らかな光が吉澤ひとみの美しい横顔を暖かく照らした。机の上に次田源一郎の著作を置いて裏の奥付きの所から見ることにした。次田源一郎なる人物がどんな経歴を持っている人間なのか知りたかったからだ。奥付きを見ると次田源一郎の略歴が載っている。千九百二十一年生まれ、大正十年生まれとなっている。千九百四十年に芝浦工業専門学校を卒業している。そのあと日本陸軍の少数民族調査部隊というものに入っている。そこでヒマラヤ山脈の裏側の方にあるカンティテ山脈というところに調査研究に行くと書かれている。軍の命令で行っているとすればきっと政略的な意味合いがあるに違いないのだろうがその部分は詳しくは書かれていない。そこで次田源一郎の略歴は途絶えている。吉澤ひとみは改めてその本の内容を知るためにざっと最初からその本を読んでみることにした。最初の内容は第二次世界大戦中、中国の奥地に少数民族の調査に行ったとき常識では考えられない事実に出会ったということが書かれていた。酸素濃度の低い、獄寒の地でその村の長老が秘蔵しているという秘密の薬草の調査に当たったがその現物を取得することはできなかった、しかるに数々の事実から宇宙飛行士が使っているような生命維持装置に匹敵するような特殊な薬、もしくは薬草、カビ類が存在するに違いないと断定している。その次の章では日本の牛若丸伝説に考究している。牛若丸、つまり源義経のことだが、この人物に対する評価は無骨な野人という解釈で歴史を少しでも勉強したことがあるものなら一致するだろうが、牛若丸と呼ばれていた子供の頃に何者かが彼に武術を教え、超人的な技を身に付けていたと本気で論じているのだった。その技を鞍馬の山の中で伝授した者が誰かということになると、講談本やおとぎ話ではからす天狗ということになっているが、その事については次田源一郎自身、からす天狗だというのはあまりにも非科学的であってそんな妖怪が実在しないことは明らかであるから歴史に現れない何者かがいたに違いない、その何者かが牛若丸に超人的な技を伝授したに違いないと結論づけている。そして第三章になるといきなり源頼光の時代に現れた鬼や妖怪が実は突然変異で生まれた生命体で実在していたとまで結論づけている。ざっと吉澤ひとみが第三章まで読んだところの結論はそうだったがあまりにもばかばかしい内容だったのでもう一度この人物の経歴を読み直そうかと言う気になった。しかし単に売るためにありもしない内容をおもしろおかしく書いているにしては少なくても装丁は学術本らしくなっている。気を取り直して第四章に目を通そうとしたとき家庭科実習室の入り口に誰かが立っているのを認めた。
「ひとみ、こんなところにいたんだ。」
滝沢秀明がこの部屋の中に入って来た。吉澤ひとみはその本の内容を知られることがいやだったのであわててその本を閉じた。
「技術科工作室が使ってもいいという許可が出たからその事をひとみに伝えようと思って、今日の放課後あそこに行こうよ。材料は用意してあるから、松村にも言ってあるって。」
新聞部のねた探しで一般の生徒に記事を投書してもらうために少し大きくて頑丈にできたポストを技術工作室で作ろうかと言う話題が出ていたのだ。新聞部内ではどうせそんな物を作ってもいたずらをされるのが関の山だからやめた方がいい、無駄な労力だと言う意見もあった。しかしやらないよりもやった方がいいだろう。こういう物を作るのにこれだけの金額がかかった。と言う実績を作っておけば今度の部活動費も得やすいなどと規模はあまりにも違うが大蔵省の予算案めいたことを言う部員もいた。そのポストを作るための材料も用意して技術科の工作室に用意してあり放課後に吉澤ひとみ、松村邦洋、滝沢秀明の三人でそれをやろうと言う話になっていて後は技術科の工作室を用意しておけばよい段取りになつていた。滝沢秀明がその部屋を管理している教師に許可をもらいに行き、ちょうどその教師が趣味で作っている蒸気機関の模型を作るために放課後いのこるのでその時間帯ならいいという事になつたのだが、S高のマドンナという吉澤ひとみの存在がなければ許可にならなかっただろう。教師たちは吉澤ひとみがからんでいれば何となく許してしまうのだった。そんな仲の良い三人だったが吉澤ひとみがあわてて本を閉じたので気まずい空気が一瞬だが漂った。しかし滝沢秀明の言葉がその固まった一瞬をくずした。
「次田源一郎の牛若丸伝説考究を読んでいるんだ。」
滝沢秀明は吉澤ひとみが閉じた本の表紙の一部を見て言った。表紙のタイトルも吉澤ひとみの手に隠れて見えなくなっているから滝沢秀明はその本の事を知っていたことになる。
「滝沢くんはこの本を読んだことがあるの。」
「牛若丸の伝説は本当だったという本だろ。千百五十九年の平治の乱のとき藤原信西とくんだ平清盛が勝ち、藤原信頼とくんだ源義朝が破れた、それで後に源義経となる生まれたばかりの牛若丸が京都の鞍馬寺にかくまわれた。そこで何者かが牛若丸に武術の極意を伝授したという話じゃなかった。」
「その通り。滝沢くんはこの本を読んだことがあるんだ。」
滝沢秀明と牛若丸伝説とはどうしても結びつかない、どうしてこんな本に滝沢秀明は興味を持ったのだろうか。
「滝沢くんはこの本に書いてあることを信じるの。」
「信じるわけがないじゃない。だいたい経歴からしておかしいよ。中国の奥地に昔行っていたからって何をしていたと言うんだい。北京原人の頭蓋骨を盗んだという話の方がまだおもしろいよ。きっとありもしない事をおもしろおかしく書けばその本が売れるとでも思ったんじゃないのかな。」
「でも、それにしては地味な装丁じゃないの。それにね。滝沢くんも見たでしょう。プロレスを見に行ったときのあの大阪府立体育館での不思議な出来事を。牛若丸に武術の奥義を伝授したからす天狗というのもちょうどあんなイメージなんだよね。」
吉澤ひとみはそんな本の内容も次田源一郎に対しても信じていなかったが滝沢秀明が頭から否定するために次田源一郎の味方をした。
「あんな人間がいるということは否定しないけどそれが妖怪や魔法使いの仕業だとしたらその方がおかしいよ。僕はむしろ人工関節や人工筋肉を使ったサイボーグの見方をとりたいね。」
滝沢秀明の言葉にはどこか確信があるようだった。しかしその確信はどこからくるのだろうか。新聞部の仲のよい三人組の中で一番存在感のないのは滝沢秀明だった。吉澤ひとみはS高のみならずこの市では誰もが振り返って見る存在だったが、松村邦洋も平凡で目立たないとしてもそれなりの個性はあった。しかし滝沢秀明には全くの存在感もなかった。その滝沢秀明が他の二人の知らない何かを知っているのかもしれない。表面上は仲のよい三人組として世間には通っているがよく考えてみれば三人が三人ともお互いのことを何から何まで知っているというわけではなかった。特に滝沢秀明に関してはそうだった。東京から転校してきたという以外何を知りうるのだろうか。
「大阪府立体育館での出来事だけじゃないわ。松村くんから聞いたんだけど滝沢くんが松村くんと一緒に帰ったとき、放課後に鉄棒の練習をするために残ったんでしょう。その帰り道で覆面を被った正体のわからない怪人に襲われて変な老人が現れて助けてくれたというじゃない。その老僧は鉄の棒をへし折ったとか言っていたわよ。その人たちもアンドロイドだと言うわけ。」
滝沢秀明はその言葉に明らかに当惑気味のようだった。
「何だ。松村はそんな話しまでしたのか。」
しかしそのとき松村邦洋と滝沢秀明は吉澤ひとみこそがおかしいという話もしたのである。そのことを松村邦洋が吉澤ひとみにしたとは思えない。そこへいつもの通りにぎやかな声を出しながら家庭科実習室に入ってくる生徒がいた。
「なんや、なんや。わてをのけ者にして、そこで二人でなにを楽しそうに話しているんや。」
松村邦洋が太った身体を揺らしながら入って来た。いつもならここで物真似の一つでもやりながら入って来るのだが。松村邦洋、滝沢秀明、お互いに地味な存在ながらそこが違っていた。
「二人とも、放課後、ポストを作るという話やなかっの。」
吉澤ひとみは今まで読んでいた次田源一郎の著作をあわててかばんの中にしまった。
「吉澤、何、しまったの。わてにも見せてくれや。」
顔を斜めにしながら上目使いに松村邦洋は人差し指で土中を掘り進んで行く地中戦車のように吉澤ひとみの方を指した。
「何でもない。」
「そうだ、放課後になったら技術工作室に行く約束だったな。松村、行こう、行こう。」
意外にも滝沢秀明は松村邦洋をこの部屋から押し出した。吉澤ひとみはそのあとをついて行った。
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