義母が大家をしていた時、
最後の店子(たなこ)の1軒は、中華の飲食店でした。
ご主人が定年退職してから始めたお店だそうです。
お店の2階に、ご夫婦で住んでいました。
義母から聞いた、
そのご主人の思い出話があります。
夫が小さい時、義父に叱られると
家の外に閉め出されたそうです。
(本人は全然!覚えていないそうですが)
でも、夫も
よほどやんちゃ坊主だったのでしょうね、
玄関の前で、「た~すけてくれ~!」と
何度も叫んだというのです。
しばらく大声を出していると、
その店のご主人がやってきて、
「もう入れてやってくれんかね」と
義父にとりなしてくれ、
夫は家に入れてもらえたということです。
「あれには、やられたわぁ」と
義母が笑いながら話してくれました。
私たちが結婚して数年後、
このご主人が病気になり、
寝たきりになってしまいました。
奥さん一人ではお店をやっていけず、
ご主人の医療費もかかることですし、
年金だけでは暮らしていくのがやっとで、
家賃が滞るようになって行きました。
奥さんは何ヶ月かに一回、
謝りながらお家賃を持ってきたそうです。
最後の方は、
「何年も払ってもらっていない」と
ときどき、義母から聞かされました。
そして、
「ご主人が病気の人に
出てけなんて言えないじゃないの」
「大家なんて最後は社会奉仕だよ」
と冗談交じりに言っておりました。
お金を払ってくれないことよりも、
払えないことを気にして
いつも申し訳なさそうに
小さくなっている姿を見ることが、
本当に気の毒で、嫌だったと言っていました。
木の手すりのついた昔のままの物干し場
上に竹の物干し竿がかかっている。
もう、30年くらい使っていない。