カズブー の ホクホクミュージック -1094ページ目

恋に恋してカズブーオリジナル曲!

皆様、おはようございまーす。


今日はかなり長文になっちゃっいます・・・

さてさて、今日も大変お恥ずかしながら、
昨日に続いて、私のレア音源をご紹介いたします。


今日はカズブーの幼き恋愛ストーリーです。

こんな時代があったということで、

過去の私のメルマガでは、
ちょいとだけ書いたことがあったかもですが、



学生時代に、
ちょっとした遠距離恋愛?

いえいえ、遠距離片思い(笑)をしてた事があり、

まだその時は、
メールとかネットなんてのがなかった時代ですからねぇ!


今思えば、おーーぱずかしいお話ですが、
なんと、文通っちゅうのをやってくれた女性がいたんですねぇ!

まぁ、いろいろありまして、
結果はふられちゃったんですけど、



我々とあるボランティアという関係で、
知り合った彼女!

当時、大阪に来ていた私は、

この時代は、実家は名古屋でしたので、

長期休みになれば、
その名古屋の友人達と、
やっぱりこの頃から、
バンド活動にあけくれておりました。


そのバンドのリーダーが、
彼女達を数名ご招待して、

当時の学校の体育館に、
まぁけっこう熱い中、

おあそびライブをやっちゃったわけです。


まだカラオケボックスなんてのもないし、
なので、最初は演奏を聞いてもらい、

後半は、ホホホ!
カズブーさん大活躍!


当時、演歌歌手だった父親の影響もあり、
なにせ、今よりさらにもっと単純な奏法だったろうけど、

はやりのポップスとかフォークソングとか、
まぁいろいろアドリブで弾いて弾いて弾きまくり!

その演奏に合わせて、
バンドのみんなも適当に参加して、
彼女達が舞台に上がってきて一緒に歌う、
なーんてな楽しい時間を過ごしたことがあったんです。


で、そろそろおなかがすいたでしょ?
って、当時まだ高校生だったその彼女達が、

なななんと??

手作りのお弁当やサンドイッチをいっぱーい持ってきてくれて、


で、体育館のひとかどに、
ちょっとした柔道用の畳がしいてあったんだけど、

そこにみんなでわいわいと円を作って、
そのお弁当をいただいたわけです。


ところがところが、

みんななんか、
とーってもおいしいのに、

恥ずかしがって、まぁ初なことで(笑)
遠慮しちゃって、
いっぱいおかずとかその他が余ってしまって、


ハイハイハイ!
もうお分かりですね(笑)


そこでカズブーさんの出番です。
この性格ですから、
遠慮もなくまぁパクパクと、
ほんまにおーーいしかったんですよ。

手作りのサンドイッチは特に最高で、
いやー、食べ物の事はよーく覚えとりますなぁ(笑笑)
この頃から、色気より音楽と食い気のみでしたなぁ!!


そして楽しすぎた夏休みは終わり、
私はまた大阪へと、

すると、一通の手紙が来て、

それも点字の手紙です。


その彼女達の一人からでした。


当時は、視覚障害者との文字のやりとりというのは、
今みたいにパソコンとかメールがないので、
早い話が不可能だったんです。

つまりは、点字を健常者の方に覚えていただくか、
点字を逆に通常文字に書き直していただくか、
それしか方法はなかったんです。


つい20年くらいまでは、
そうだったんですよね。




そういう意味では、
前回書いている私の内容とは、
大きく矛盾する点がありますが、

文明が早く進んでしまうメリットが、
こういうところにはたくさんあったりもします。


で、彼女達が我々に、
してくれてたボランティアというのは、

すなわち点字サークルといって、

私がお世話になっていた盲学校の近くにある、
ある健常者の高校に、
点字サークルという、
視覚障害者の点字を覚えて、
コラボレーションしようという、
ありがたいサークルを作っていた生徒さん達がいらして、

よく盲学校に、
お姉様達の団体でおこしくださり、
点字のやりとりを我々としてくださっていたというわけ!

そのメンバーのうちの数名が、
当時、私が仲間に入れていただいていたバンドのリーダーと、
個人的に親しくなり、
今回のような事が実現したんです。


今では、どうってことない話でしょうけど、

当時としては、これは革命的だったんですよ。


ボランティア団体は数多く存在してましたが、

いっても同じ学生同士、
ちょっと親しくなって、
みんなでどこか遊びになんてな話になってくると、

プライベートでのお付き合いはちょっと???
ってお断りされてしまう事がほとんどだったんです。


まぁ、視覚障害者の手引きの問題とか、
日常生活には、
個人差はあれど、
やはり健常者とは、
大きく異なりだってありますから、

なかなか、個人的には、
時代背景もありましたけど、
友人としてのお付き合いとなると、
難しいものがあったんです。


だから、一日学校の体育館を貸手もらえて、
なおかつ、男女数名のみで、

ボランティアという関係でなく、
お友達として見に来てくれた彼女達の存在というのは、
とってもありがたく、新鮮なものでもありました。

私は、当時長屋に住んでいて、
また、父親の仕事の関連もあり、
健常者との友人を含む、
さまざまなプライベート交流があった中で育ちました。

あたりまえといえばあたりまえの話だけど、
私はとっても恵まれていた環境にあったと言えるんです。
これは、両親やその周囲の人達に、
感謝してもしきれない宝ですねぇ!


まだ、現代社会と言われていたこの当時であっても、
両親は、視覚障害者の子供を持ったことで、
親戚や友人から罵倒され、
子供を隠して育てていたり、
そんな時代背景もまだまだ少なくなかったんです。

だから、健常者とのごくごく自然な交流なんて、
文字さえやりとり困難な時代!

なかなか現実は厳しいものがありました。




はい、話をもどしましょうね。。。



で、彼女は一生懸命、
覚え立ての点字で、
私宛に個人的に手紙を書いてくれたというわけでした。



私が、その彼女が作ったサンドイッチを、
おーいしそうにぜーーんぶたいらげたことが、

バンドのみんなに、
おまえはあつかましいとか、
行儀が悪いとか、
実は後でちょいとしかられちゃったりもしてたんだけど、

これが逆に、彼女にとっては、
ものすごーーく嬉しかったようで、

個人的に御礼の手紙を、
バンドのリーダーに、
私の大阪の盲学校の寄宿舎の住所をこそっと聞いてくれて、
で、お手紙が来たというわけでした。


あぁ、ここまで書くつもりはなかったのに?(苦笑)



ただ、私は点字の読み書きもそこそこできましたが、
実は、当時はまだ今より視力がうんとあったため、
大きな文字であれば、
通常文字でのやりとりが可能だったので、

きたない字でお返事したら、
えらくびっくりして、
で、しばらくの間、
彼女との文通がスタートしました。

約2年やってましたねぇ(笑)


で、彼女は私よりふたつ年上でした。
高校卒業後、
専門学校へ行かれて、
彼女が20才の誕生日の時に、
何か曲をプレゼントしたいと、
まぁじゅーんな私が「ホホホ!」

当時、修学旅行で、
長崎のキレイな夜景を、
あるホテルから眺めていた私は、
なんか曲が浮かんできて、

すぐさま帰ってくるやいなや、
大阪の寮にあったピアノで、
早速曲作り!

で、せっかくなので、
他の楽器も入れたいと、

当時、先輩からゆずってもらったギターを手に、
まだギターもろくすっぽできない状態で、
必死のパッチで練習して、

家の事情も手伝って、
わずかの仕送りのお小遣いを全部はたいて、
めちゃくちゃいいギターの弦を買って、

ちょうど間に連休があったので、
ここぞとばかりに、
寄宿舎の勉強をする部屋があるんですが、
そこに一人でずーっとおこもりして、




在籍していた音楽科の先輩に、
モーレツに頼みこんで、
当時のシンセサイザーとか、

先輩が所有していたミキサーとか、
カセットのデッキタイプのものとかを、
借りて借りて集めまくり、
部屋いっぱいを機材で囲みながら、

一生懸命機材の勉強をして、
これが今の私のミキシング技術の第一号なんです。

私はピアノ調律の勉強をするために、
大阪に出て来たことも手伝って、、

寮のピアノは自分で調律して、

一人多重録音で、
彼女への20才のおめでとうの気持ちを、
歌詞はなしのインストロメンタルという形で曲にして、
プレゼントしました。


すーんごく喜んでくれたけど、

告白した時に、

いやー、お恥ずかしい!

申し訳ないけど、
あなたは私を美化しすぎている、
私はあなたが思うような、
こういう曲のような人ではないって、
ヘヘヘヘヘ!
チャンチャンのお笑い話でしょ?


まぁ、でも今となっては、
とーってもよい思い出ですわー!

彼女は今思えば、
ちょっとええとこのお嬢様だったんですよー。

一度、バンドのみんなとお茶した時に、
たまたま向かい合わせに彼女がいて、

私に言ったことが今でも忘れられずにいます。

それはここでは書きませんが、

人は絶対変われない!
夢と現実は違うなーんてな内容の事を連呼してましたね。

あの時の私には、
自分の彼女への思いばかりで、
彼女の気持ちや思いなど、
考えることすらなかったように思うけど


きっと、彼女は、
親がしいたレールの上を、
歩いていかなければならなかった人生だったのでしょう!


彼女が私に言った、
あのような言葉は、

青春時代の思春期真っ最中だった幼き私と、
20才、大人の階段を上り始めた彼女との、

大きなすれ違いが産み出した果ての結末だったのかもしれませんね。

でも、確かに喜んでくれたことは事実だったと自負していますがね。
できれば、もう過去のあわい笑い話だと思ってもらって、
彼女がこのテープを持っていないことを、
強く望んでいるカズブーさんでした。(笑)



当時の彼女には、
このプレゼントの曲は、
ちょっと逆に主ににさせちゃったかも??

今もカズブーさんはあまり変わってないなぁ!


自分の恋する思いって

思えば思うほどに、


時には相手には重荷になったり迷惑にさえなったりしますからね。

ここが「恋」と「愛」の違いかなぁーなんて

ハハハハ、


カズブーさんがこういうこというと

なんかおーーーかしいですなぁ!!!


でも、風邪のうわさで、ご結婚されて

今でもわれわれとの出会いが影響したのか、


女性の仲間たちと音楽をしているようです。


なんかそれを聞いて、

とっても嬉しい気持ちになりました。


最近再会した

名古屋時代の小学校の友人が

そう教えてくれました。


はーいはい! 

だーいぶひっぱりましたが(汗)


では、もう今となっては、お笑い話なんで

その曲をカミングアウトしましょう!


まぁ、当時の機材で

やっぱりまだカセットで交換録音してた時代なんで

音はひどいもんですが


こいつも昨日と同様

2001年の時に

デジタルマスタリングをして

なんとかこの状態まで音が持ち上がりました。

演奏はひどいもんです。(汗)

でも、心だけはちょいと感じてもらえたら幸いです。


ほとんどこの当時の「思い出は

私の心の中で充分だと

処分してしまいましたが。


この当時のマスターテープ

これだけは捨てることができなかったんですよねぇ!


なけなしの小遣いで1000円もして買った

メタルテープですよ!

お若い皆様

なんのことやらわからないですよねぇ!

またこの手の話はいずれといたしまして・・・


このオリジナル曲の編曲の中に

私の今現在の原形がみーんな入ってますし、


当時のローランドのTR505だったかな?

世界初のサンプリングドラムマシーン!


つまりは本当のドラムの音をデジタル記録して作られた

初めてのリズムマシーン


これは、今みたいな全部いろんな音が出る機材やお阿曽婚とは違って

ドラムの音のみの機械です。


当時の技術では

長時間のデジタル記録ができなかったため

シンバルも2秒で消えてしまうし、

8譜♪以上は打ち込むことができなかったり、


制約がたくさんあるなか、

ちょいと裏ワザばるものを使って

先輩からお借りしたこの機材を

徹夜してなんとか覚えて打ち込んで


つまりはこれこそが

私が今やっている

シンセでの音楽活動の第1号作品となったわけです。


あとの楽器は この打ち込んだリズムに合わせて

手で何度も失敗しては やり直して弾いて録音したものです。


まぁるまるまる 2日かかって録音したわりには

今8つってことですが、(苦笑)


では、お聞きいただきましょうかね?


まぁ、当時の幼い私のままごと遊びだと

笑ってやってくださーい!!


では、昨日の音源から3年後、

当時18歳のカズブーのインスト作品をどうぞ!


フォーユー/18歳のカズブーインスト作品!

ココをクリック  してお聞きください。


いやー

もう数日で消しますので(大苦笑)


では、また明日から

通常内容でやっていきますね。


長文いつも最後までご購読いただき

ありがとうございました!!


では、またあした。。。