昨日の「プラチナファミリー」
ご覧になりましたか
牧野邦夫 紹介されていて良かったです
黒柳徹子ミュージアム 気になります
先日図書館で「アンパンマンの遺書」
という本を見つけました
大好きだった奥様を亡くされて
2年後に刊行された自著伝
やなせたかしさんが亡くなったのは
出版されてから20年も後の事ですが・・・
本の紹介もしたいのですが
この本の中に
「モダン日本」という雑誌の話があったので
その雑誌の話を・・・
私の祖父・牧野英二は
牧野信一の弟で牧野邦夫の従兄弟にあたります
福生の叔母の父親です
信一の代わりに
小田原の家で母親が亡くなるまでの面倒を
ずっと看ていたと聞いています
祖父は早稲田大学を出た後
文藝春秋の菊池寛さんの下で働き
編集記者の頃には
戦地から戦地報告なども執筆していた
↑
文藝春秋が入っていた「大阪ビル」編集会議
真ん中に菊池寛さん
左一番奥が祖父
写真を見ても顔はわかる人もいるけれど
名前は全くわからないと
叔母が見せてくれた写真です
戦後は菊池寛が創刊した雑誌
「モダン日本」を祖父が引き継ぎ
「新太陽社」の社長として働いていた
その頃は吉行淳之介さんが
編集長をしていたと知られています
その頃の話を
「アンパンマンの遺書」の中で紹介していました
”芥川賞を受賞する以前の吉行さんは、『モダン日本』の編集長で、ぼくらはよくこの本に書かせてもらっていた。この『モダン日本』の編集をしていたのが中村メイコで、メイコさんは原稿とりなんかやっていたが、どうもひそかに吉行さんを好きだったようだ。”
以前ブログで紹介したことがありましたが
祖父の雑誌の中でたまたま見つけた
「ヤナセタカシ」の名前に驚いた
やなせさんの本の中で 「モダン日本」の
名前を見つけたのは嬉しい限り
当時の雑誌社にはやなせさん以外にも
富永一郎さんや赤川童太さんなども
出入りして挿絵や四コマ漫画を描いていた
昨日 叔母とそんな話をしていたら
小学生の頃に祖父(叔母の父)の会社や
社内旅行によく連れて行ってもらって
いろいろな出入りしている人に会ったとのこと
名前は全く覚えていないけれど
今でも顔は思い浮かんでくるのよ、と
もしかしたら
会っていたのかもしれないわね~なんて・・・
中村メイコさんのことも・・・
祖父は私の祖母にあたる人を戦時中に亡くし
(私の父を産んで直ぐに亡くなっています)
再婚したのが
中村メイコさんの従姉妹にあたる人
なので中村メイコさんの姪が叔母
当時 叔母の家で夜中に祖父たちが
メイコさんが大好きだという吉行さんが
宮城まり子さんに取られてしまい
どうしましょう。みたいな話をしていたのを
こっそり聞いていたとか・・・
他にも社内のゴシップ話は
いろいろ聞き耳たてて聞いていたらしい
メイコさんの事
やなせさんも父たちと同じように
思っていたのね
きっと祖父はやなせさんのことも
(やなせさんがちょうど10歳下)
可愛がっていたんだろうなぁなどと
思いながら読み進めています
本の話の続きはまた明日
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