昨日は祖父の事をいろいろ書きましたが
私の知っている祖父は
ムーミンパパのようなフォルムで
笑顔が優しい人だったという記憶しかない
祖父は祖父でしかないのが本音
でも思い出してみても
「おじいちゃん」と呼んだ記憶がない
祖父が何をしていたのか
どんな人生を送ってきたのとか
牧野信一の遺したことや牧野邦夫の事
いろいろ知ったのはつい数年前のこと
2022年の小田原でのイベント準備で
いろいろと調べて知ったことがほとんど
父が亡くなる前に牧野信一関係を託され
何となく小田原文学いろいろに参加
親族が知らないところで
親族以上に動いている人がいたことにも驚き
父が生きている間に聞いておけばよかったと
今になって悔やむことが多いです
それは叔母も一緒のようです
今年に入りいろいろあり祖父の事を調べた
叔母の昔話もたくさん聞かせてもらった
そんな中で祖父という人は
作家 牧野信一の弟だけではなく
凄い人だったのだと知ることになった
そして叔母も言葉を失うくらい
衝撃の事実を知るのですが・・・
それはいつかまた
先日図書館で借りた「アンパンマンの遺書」
巻頭のメッセージ
『アンパンマンはぼくの子供であり、
ぼく自身でもある。
この遺書はアンパンマンを通じて
世間へ公開するかたちをとった。
ぼくのパッとしない人生も
ケジメだけはつけておきたかった。』
とあります
大好きだった奥様を亡くされ
2年後に刊行された自著伝ですが
やなせさんが亡くなったのは
この20年後くらいあとのこと
子供達がアンパンマンで育った世代なので
私の知るやなせたかしさんは
やはり アンパンマンの人のイメージ
現在 朝ドラでも放送されているように
戦中戦後いろいろなお仕事をされて
アンパンマンの誕生に至ったことが
詳しく書かれています
そんな中で祖父とも仕事をした感じですね
叔母の家でアルバムを探して見たけれど
社員ではなかったので
やはり 見つけることができませんでした
やなせたかしさんが その昔
三越百貨店の宣伝部だったというのは
結構有名な話ですが・・・
三越の包装紙
あの丸みを帯びた不思議なデザイン
1950年から使用されているらしい
昔 家に届いたお中元やお歳暮の紙という印象
生まれた時からずっとこのデザインを
見ているからかもしれませんが
ザ・三越 って感じです
このデザインは「華ひらく」という
タイトルがあることも知った
デザインをしたのは当時注目されていた
洋画家猪熊弦一郎という方
彼もまた高松市の人のようです
戦後すぐのデパートの包装紙は茶紙で
この目を惹くデザインは
東京に旋風を起こしたそうです
そこに書かれている「mitsukoshi]」の
文字は やなせたかしさんのもの
猪熊氏に「君が描いておいてね!」と頼まれ
下手くそながら仕方なしに描いたものが
ずっと使用されているのは恥ずかしかったと
著書に書いてありました
その後のデパート業界の包装紙が
一新されたのは言うまでもなく
高島屋もバラのデザインに替わりました
その後も三越社員を続けながらも
絵を描く仕事はしていたようですが
漫画収入が増えて退社
それからはNHKへ出演したり
舞台製作に関わったり
その頃「手のひらを太陽に」を作詞
詩人、絵本作家からアンパンマンの誕生
常に謙遜し 来るものを拒まずの精神
人を引き付ける優しい力は
アンパンマンそのものという感じの方
アンパンマンエピソードが詰まった本と
言ってもいいかもしれない
とても楽しく読ませていただきました
朝ドラファンの方
こちらの本 おすすめです
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