先週
横浜に住むもう一人の叔母と福生の叔母
3人でランチをしましょうと外に連れ出した
以前 叔母と訪れたお店が気に入ったようで
義妹にあたるもう一人の叔母を連れていきたいと
話していたので再訪
今回は個室に案内してくれて
お部屋からは小さな中庭が見えて素敵でした
懐かしい昔話に盛り上がり
これから来る牧野イベントの話などもした
前回は煮魚だったので今回はお刺身
プリプリで美味しかったです
叔母たちは海鮮丼をチョイス
量が多いのではないかと思ったら
二人とも完食
食欲もあり元気で良かった
写真で比べると 大病した叔母は
大柄だった昔を思うと まだ痩せている
でも食欲が戻ってきて体重も増えてきたと
話していましたので大丈夫かな
以前に 結婚するまでの叔母の人生は
親が敷いてくれたレールの上で
脱線することなく進んでいたという話を
したことがありましたが・・・
その頃の叔母の父親(私の祖父)は
出版会社の社長までやっていたはずだから
資産家で財力もあり
いろいろなところに顔の効く人だったのだと思う
中高は親元から離されお嬢様学校
卒業後は親が決めたデザイン学校
遅刻しようがテストで悪い点を取ろうが
お咎めなかったそうです
入学試験にも母親が同行していたらしい
就職は青山の広告デザイン会社
就職を決める際には東郷青児宅に
菓子折りを持って行ったなんて話も聞いた
普通に世間話をしたと思うって・・
まだ東郷青児が有名でない頃
叔母の父親の会社に出入りしていたようで
就職した会社の看板デザインに
東郷青児の絵があったらしい
だから入れたのね~と今になって思うと
デザイン学校時代は
中村メイコさんの付き人のような仕事をしたり
それきっかけでTVやCMに出たりという
普通では経験できないような
うらやましい青春生活
そこで業界人と知り合うことも多く
お金持ちボーイとのデート話や
超高級カーでドライブした話
ドライブに母親が付いてきた話
ある会社の創業者の息子さんに
付きまとわれた話
今のご主人との結婚が決まって
家に家族総出で怒鳴り込んできた。みたいな
だけど 小田原にいた本命彼
現在も小田原では名の知れている方でした
昨年
会わせてあげるつもりでいたのですが
昨年の2月に病気で亡くなっていて
未だにそれは叔母にも伝えられていません
今回も どうしているかしらねぇ~なんて
懐かしがっていたのでちょっと心が痛かった
83歳の叔母ですが心はまだ乙女
叔母と話しているとあっという間に夕方
ずっとこのまま元気でいてくれますように・・・
いつか書きたい叔母の面白自叙伝
ストックをためています
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