叔母が暮らしていたという昔の原宿の話 | めいりん家

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マンチカン『めい』のもとにスコティッシュの『りん』がやってきて「めいりん家」で新しく出発したブログ。突然のりんとのお別れ。悲しみから立ち直り、めいのブログ、時々りん。備忘録としてママの事、緑内障の事、少しずつ書いていきたいと思います。

今年も梅雨が来ないうちに

夏が来てしまった感じで

これからの暑さに耐えられるのだろうかと不安

皆様も熱中症にはお気をつけてください

 

 

 

叔母宅訪問した時に

原宿が新しい駅舎になったのよ!と

写真を見せてあげました

 

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叔母は結婚する前まで

原宿駅からすぐのマンションに

住んでいたと聞いていました

 

写真を見て昔を思い出したようで

懐かしい話などをたくさんしてくれました

 

 

伯母も私も知っている昔の原宿駅舎は

2020年の東京オリンピックに合わせて

新しい駅舎になったようですね

 

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新駅舎は綺麗だけれど

古い駅舎が好きだったなぁ

 

壊した古い駅舎の資材を利用して

2026年冬に新しい商業施設ができるらしい

 

原宿のシンボル的な三角屋根や風見鶏も

元通りに使ってくれたらうれしいなぁ

 

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今まさに新駅舎の横で旧駅舎の解体工事中

 

 

叔母の住んでいたというのは原宿駅前

 

場所で言うと

今のラフォーレの裏当たりなのかしら?

ジャニショのあったあたりなのかしら?

 

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その頃 原宿の桑沢デザイン学校を出て

青山のデザイン会社に勤めていた叔母

 

 

今の代々木公園のある場所には

アメリカ軍の兵舎「ワシントンハイツ」があり

 

ワシントンハイツに住む外国人のための

お店が表参道に多く建てられた

 

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キディランドなんかも

外国人向けのお店だったそうで

当時は本屋さんで雑貨を売っていたとか

 

 

その後ワシントンハイツが返還され

そのままオリンピック村となり

それから代々木公園になったそうです

 

その頃は まさか自分が

アメリカ人と結婚するなんて

考えてもなかったわって・・・爆  笑爆  笑

 

 

当時も竹下通りはあったけれど

人通りも少なくて怖い感じの道で

 

原宿駅を降りるのは

叔母一人ということもよくあったらしい

 

 

駅近くのカフェでは丹下健三さんが

よくコーヒーを飲んでいたとか・・・

 

丹下健三さんなど 歴史上の人物

伯母っていったいいつ時代の人?

なんて思ってしまう

 

 

1941年生まれの叔母

戦後の復興を見ながら育った人

日本の変化を間近に見て生きてきた人

と つくづく感じる話ばかりです

 

生きている歴史の教科書みたい

 

叔母のいろいろな思い出が詰まった原宿

とても懐かしい土地であり

一番いい時間を過ごした場所なのだそうです

 

 

その懐かしい場所での懐かしい話は

私にとっては別世界の話で

とても興味深くてずっと聞いていたい

 

内緒で記する叔母の話コレクションに

また素敵な1ページが加わりました

 

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いつかまとめて叔母にプレゼントするつもり

 

プレゼント

 

 

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