皆さまは遡るといくつくらいまでの
記憶が残っていますか?
MAYママは小児喘息を患っていて
低気圧がくると苦しくて
いつも背中を撫でられていたこと と
小さい頃しょっちゅう
診療所のようなところへ連れていかれていた
それが何歳頃だったかは記憶にない
今回は叔母の記憶にビックリした話
先日の叔母の家
一人だとそんなに食欲もないので
ご飯も適当なのだけど 人が来てくれるなら
ちゃんと料理もしてしっかり食べる と
素敵なランチを用意してくれました
すっかり話が弾んで写真すら撮ってない
MAYママは叔母の元気の元だから
ずっと元気でいてねと言われました
それはお互い様
叔母とMAYママは
唯一 小田原の昔の家を知っている同士
時代は違うけれど同じ敷地に住んでいた
牧野信一も暮らした小田原の家
信一が自害した小田原の家
昨年の春に小田原で開催されたセミナー
ここのセミナーでは叔母の記憶だけで描かれた
小田原の家の画などが紹介された
そのほとんどが叔母が3歳の時の記憶
写真は残っていない
MAYママは3歳の記憶など残っていない
幼稚園の記憶がかすかにあるだけ
叔母と話したのは戦争の頃の話
長野に疎開していたというのは以前聞いた
終戦は疎開していた時だろうけれど
その時の記憶はないという
終戦前に 出兵していた父親が
一時戻ってきたことがあったらしい
よかったのかもしれない
叔母に元気になってもらうためにも
MAYママも元気でいないといけないなぁ
でもほんと
元気になってくれてよかった
これからも
しっかり支え続けていかなければ・・・
MAYママが支えられている気もしますが
またいろいろな叔母の話
記録としてブログに残していくつもりです
昨日は8月22日
22 ニャアニャアの日

この声でお願いされたら
何でも聞いてあげたくなるよね
今日は「処暑」
厳しい暑さを通り越した頃のことを呼びますが
相変わらずの暑さとゲリラ雨
まだまだ暑い日々は続くようです
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