叔母の思い出話 ☆ 鮮明な3歳の記憶 | めいりん家

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マンチカン『めい』のもとにスコティッシュの『りん』がやってきて「めいりん家」で新しく出発したブログ。突然のりんとのお別れ。悲しみから立ち直り、めいのブログ、時々りん。備忘録としてママの事、緑内障の事、旅行やお出かけなど書いていきたいと思います。

皆さまは遡るといくつくらいまでの

記憶が残っていますか?

 

MAYママは小児喘息を患っていて

低気圧がくると苦しくて

いつも背中を撫でられていたこと と

 

小さい頃しょっちゅう

診療所のようなところへ連れていかれていた

それが何歳頃だったかは記憶にない無気力

 

 

今回は叔母の記憶にビックリした話飛び出すハート

 

先日の叔母の家

一人だとそんなに食欲もないので

ご飯も適当なのだけど 人が来てくれるなら

ちゃんと料理もしてしっかり食べる と

素敵なランチを用意してくれました

 

すっかり話が弾んで写真すら撮ってない爆  笑

 

 

MAYママは叔母の元気の元だから

ずっと元気でいてねと言われました

それはお互い様照れ

 

叔母とMAYママは

唯一 小田原の昔の家を知っている同士

時代は違うけれど同じ敷地に住んでいた

 

牧野信一も暮らした小田原の家

信一が自害した小田原の家

 

 

昨年の春に小田原で開催されたセミナー

 

 

ここのセミナーでは叔母の記憶だけで描かれた

小田原の家の画などが紹介された

 

image

 

そのほとんどが叔母が3歳の時の記憶

写真は残っていない

 

MAYママは3歳の記憶など残っていない

幼稚園の記憶がかすかにあるだけ

 

 

叔母と話したのは戦争の頃の話

長野に疎開していたというのは以前聞いた

 

終戦は疎開していた時だろうけれど

その時の記憶はないという

 

終戦前に 出兵していた父親が

一時戻ってきたことがあったらしい

 

 
その時の記憶がこの画
 
石の上に立ち 靴のカチカチという音が
鮮明に耳に残っているという
 
 
父親がまた戦地へ戻る際に
母親とおばあさんと小田原駅まで
見送りに行ったことも覚えているという
 

 

 
小田原の家には よくお茶屋さんや
近所の親戚のおばあさんがやってきていた
 
他にも
おばあさんに海へ連れて行ってもらったこと
地引網をしたこと お墓で肝試しをしたこと
街頭テレビを見に行ったこと
もっともっとたくさん・・・
 
どれもこれも鮮明に覚えている
すごいなぁ~
 
MAYママの知らない
昭和の初めの頃の小田原の話
 
話は尽きることなく 楽しい時間
あっという間に帰る時間
 
またいろいろと絵を描いてもらうのも
良いかもしれない
 
 
叔母の昔話ができる相手がいることも

よかったのかもしれない

叔母に元気になってもらうためにも

MAYママも元気でいないといけないなぁ

 

でもほんと 

元気になってくれてよかった飛び出すハート

 

 

これからも

しっかり支え続けていかなければ・・・

MAYママが支えられている気もしますが

 

またいろいろな叔母の話

記録としてブログに残していくつもりです

 

 

 

昨日は8月22日

22 ニャアニャアの日オッドアイ猫猫

 
めいの可愛いにゃあにゃあ
残しておきますピンク音符

 

 

この声でお願いされたら

何でも聞いてあげたくなるよね

 

 

 

今日は「処暑」

厳しい暑さを通り越した頃のことを呼びますが

相変わらずの暑さとゲリラ雨

 

まだまだ暑い日々は続くようです

 

 

 

 

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