叔母の告白 ☆ 子供の頃の思い出 | めいりん家

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マンチカン『めい』のもとにスコティッシュの『りん』がやってきて「めいりん家」で新しく出発したブログ。突然のりんとのお別れ。悲しみから立ち直り、めいのブログ、時々りん。備忘録としてママの事、緑内障の事、旅行やお出かけなど書いていきたいと思います。

先週 久しぶりの叔母の家へ

おしゃべりのお相手音譜

 

叔母は一人で住んでいるので

人が来るとなるとお料理する気になると

急に行ったのにもかかわらずの

素敵なランチを作ってくれました

 

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和洋折衷的なランチ

 

タラのパン粉焼き 

美味しかったので教わってきました

 

やっぱり叔母のお料理のセンスって

素晴らしい乙女のトキメキ

 

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デザートには 

たまご屋さんのプリンを持参

 

かなり気に入ってもらえて良かったハート

 

 

 

話好きの叔母

 

今回も話はとどまるところを知らず

アメリカのインディアンの話から

ゲイの話まで幅広く爆  笑

 

子供の頃 何していた?って話から

叔母の家のクリスマスの話へと

 

 

叔母の父親(MAYママの祖父)は戦後

菊池寛が創刊した

「文藝春秋」の編集者でした

 

戦時中は

満州から記事を送っていたらしい

 

戦後は会社から与えられた

浦和の邸宅に住んでいた

 

そのころ叔母はまだ小学生

 

クリスマスには派手好きの母親が

大勢の人を家に招き

クリスマスパーティーをしていたという

 

そこから どんな家~?的な・・・

 

戦後まだ物がないころなのに

大きなテーブルには 今でいう

ビュッフェのように洋食が並べられ

音楽をかけてダンスパーティーをしていた

 

子供たちは早く寝ろ!と部屋に追われ

弟たちとこっそり見ていた凝視

 

いろんな男女がダンスをし

賑やかで ご馳走に舌鼓をしていた

 

そういう世界に住んでいたので

それが当たり前だと思っていたらしい

 

でも 庭の外の塀には近所の人たちが

たくさん覗いていたという目目目

 

TVドラマの世界よね爆  笑爆  笑

 

 

招待されていたのは

文藝春秋の人たちだけではなく

何故か県庁の人だったという(母親に聞いた)

 

その家は日本家屋だったが

畳は板張りされ(今でいうフローリング)

洋風の家に替えられていた

 

戦後の日本は

まだバラックみたいな家が多かったのに

叔母の家だけは違ったそうで・・・

 

そこまで聞いて

 

叔母の家って ものすごい

ものすごいお金持ちだったのだと思ったびっくり

 

その後浦和の友人から

叔母たちが出た後のその家は

旅館になったのだと 先日聞いたとか・・・

 

 

へーすごいねー無気力

としか言えないママ爆  笑

 

 

それでも叔母の結婚が決まった頃に

母親の白血病が発覚

 

今のように高額医療保険や補助などないので

治療のために

お金が湯水のように流れたらしい

 

結局母親は亡くなってしまったけれど

その後は叔母はアメリカに渡り

14年前に日本へ帰国

なので叔母の中にある日本は

ずっと昭和のままなんですって

 

 

叔母の話

いつかまとめて本にしたくなる(笑)

バラエティに富んで過ぎ飛び出すハート

 

 

 

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今日のめいはママの横でお休み中zzz

 

久しぶりのお天気

明日から暑くなるというので

エアコンフィルター掃除に

夏布団干し 洗濯2回

 

大忙しの朝でした

午後はゆっくりしたいなぁ~

 

 

 

 

 

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