先週 久しぶりの叔母の家へ
おしゃべりのお相手
叔母は一人で住んでいるので
人が来るとなるとお料理する気になると
急に行ったのにもかかわらずの
素敵なランチを作ってくれました
和洋折衷的なランチ
タラのパン粉焼き
美味しかったので教わってきました
やっぱり叔母のお料理のセンスって
素晴らしい
デザートには
たまご屋さんのプリンを持参
かなり気に入ってもらえて良かった
話好きの叔母
今回も話はとどまるところを知らず
アメリカのインディアンの話から
ゲイの話まで幅広く
子供の頃 何していた?って話から
叔母の家のクリスマスの話へと
叔母の父親(MAYママの祖父)は戦後
菊池寛が創刊した
「文藝春秋」の編集者でした
戦時中は
満州から記事を送っていたらしい
戦後は会社から与えられた
浦和の邸宅に住んでいた
そのころ叔母はまだ小学生
クリスマスには派手好きの母親が
大勢の人を家に招き
クリスマスパーティーをしていたという
そこから どんな家~?的な・・・
戦後まだ物がないころなのに
大きなテーブルには 今でいう
ビュッフェのように洋食が並べられ
音楽をかけてダンスパーティーをしていた
子供たちは早く寝ろ!と部屋に追われ
弟たちとこっそり見ていた
いろんな男女がダンスをし
賑やかで ご馳走に舌鼓をしていた
そういう世界に住んでいたので
それが当たり前だと思っていたらしい
でも 庭の外の塀には近所の人たちが
たくさん覗いていたという
TVドラマの世界よね
招待されていたのは
文藝春秋の人たちだけではなく
何故か県庁の人だったという(母親に聞いた)
その家は日本家屋だったが
畳は板張りされ(今でいうフローリング)
洋風の家に替えられていた
戦後の日本は
まだバラックみたいな家が多かったのに
叔母の家だけは違ったそうで・・・
そこまで聞いて
叔母の家って ものすごい
ものすごいお金持ちだったのだと思った
その後浦和の友人から
叔母たちが出た後のその家は
旅館になったのだと 先日聞いたとか・・・
へーすごいねー
としか言えないママ
それでも叔母の結婚が決まった頃に
母親の白血病が発覚
今のように高額医療保険や補助などないので
治療のために
お金が湯水のように流れたらしい
結局母親は亡くなってしまったけれど
その後は叔母はアメリカに渡り
14年前に日本へ帰国
なので叔母の中にある日本は
ずっと昭和のままなんですって
叔母の話
いつかまとめて本にしたくなる(笑)
バラエティに富んで過ぎ
今日のめいはママの横でお休み中
久しぶりのお天気
明日から暑くなるというので
エアコンフィルター掃除に
夏布団干し 洗濯2回
大忙しの朝でした
午後はゆっくりしたいなぁ~
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