2009年の夏、答礼人形 「ミス三重」 が およそ80年ぶりに里帰りしました。
昭和のはじめ、アメリカの子どもたちから日本の子どもたちに友好のしるしとして、たくさんの人形が贈られました。 わが三重県にも、約200体の人形が届けられたといいます。戦前、戦中と数奇の運命を辿って残ったのは、現在わが市に3体~三重県全体で9体の青い目の人形が残っているといわれています。 はるばるとやってきた青い目の人形のお返しに、
日本の子どもたちから
アメリカの子どもたちに贈られたのが答礼人形だったのです。
齢90になった叔母の記憶では、それぞれが僅かずつ持ち寄って供出をしたのだそうです。わが母校でも「一銭,二銭・・・」と家からもらってきたお金を集めたのでしょうね~叔母は、三重県から贈ったから「三重子さん」という名前になったのだと、担任の先生から聞いたことを覚えていました。
2009年8月5日から10日まで わが町のデパートで” おかえりなさい 「ミス三重」”のお披露目のもようしがありました。 実は、今回の「ミス三重」は、叔母のいう当時の答礼人形の「三重子さん」ではなく、どこかで入れ替わったようです。しかし、アメリカのネブラスカ州で戦前・戦中・戦後を通して「ミス三重」として、大切に保管されてきたことから、里帰りという運びになったのでしょうね。
「ミス三重」は、身長81センチの日本人形~かすかに微笑んでいるようです。花柄模様のあるピンクがかったうす紫のふりそでを着て、赤の地模様に金糸銀糸をほどこした帯をしめています。県知事に帰国の挨拶をしたときには、大和なでしこよろしく、ちゃんと座ってご挨拶をしたとか~ 答礼人形「ミス三重」は、座ることも出来るんですね。
およそ80年の昔、アメリカへの友情の証として、はるばる海を渡っていった答礼人形たち。現在は、44体が確認されているそうです。答礼人形「ミス三重」 (ヤッパ名前がないというのは、なにか かなしいなあ)、 待ち望んでいた三重県の子どもたちに会った後は、再び人形本舗でお化粧直しをしてもらって、2010年の5月、ネブラスカに戻る予定だとか~
友情の証であった青い目の人形が、戦時中、「敵の国の人形」だという理由で、壊されたり捨てられたりしたということ出来事は、何度聞いても胸がつぶれる思いがします。「青い目の人形」 と この「答礼人形」の話は、
日本の子どもたちと
アメリカの子どもたちとの友情と証として、また、戦争という哀しい時代を挟んだ歴史の証人として、いつまでも、わたしたちに平和の意味を問いかけてきます。
あんなに「会いたい、会いたい」と楽しみにしていた齢90の叔母は、とうとう会いに行けませんでした。
2009. 8. 29





























