manbeeのアンティーク日記-オ・ラパン・アジル  オ・ラパン・アジル

 「オ・ラパン・アジル」は、パリで超有名なシャンソン酒場なのだそうです。18世紀半ばにモンマルトルの丘に誕生して、多くの芸術家たちに愛され、今も脈々と続いているシャンソニエ・・・・アンドレ・ジルがうさぎの看板を描いたのをもじって、現在の店名「ラパン・アジル(跳ねうさぎ)」と呼ばれるようになったそうです。そういえば、看板ではうさぎが楽しそうにワインワイン片手に跳ねていたなあ~

 manbeeたちは、シャンソンを聴きに行くと言うツアーの方に同行して行くことにしました。他の人たちは、ディナー付きショーを楽しんだり、観劇にいったり~manbeeたちが、十数回もパリに来ていると言う浅香さんたちに同行する時には、「オ・ラパン・アジル」が超有名なシャンソニエだなんて知らなかったんですよ。


 開演は、9時からと言うので、この日は地下鉄でいくことに・・・場所は、地下鉄メトロ12番線ラマルコ・コーランクール駅から小高い丘を駆け上ったところにあって、建物の間からサクレ・クール寺院の丸いドームも黒く見えていました。

 店内は、つめて座っても概ね50席ぐらいでしょうか~壁には、何枚もの絵が掛かっています。この絵は、かつて出入りしていた無名の芸術家たちが、酒代の代わりに置いていったものも多数あるとか・・ピカソやユトリロも出入りしていたと言いますから、彼らの絵もどこかにあったのかも知れません。店内では、すでにピアノの演奏が始まっていました。manbeeたちが案内されたのは、ピアノの横の隅、ピアニストの指使いもしっかりと見える位置でした。
                    ユトリロのラパン・アジル  manbeeのアンティーク日記-ユトリロのラバン・アジル
 「日本人ですか?」 きょろきょろしているmanbeeたちを見て、ピアニストが聞きました。「はい~、日本語がお上手~ですね。」 「この前、ニッポンへ2週間行ってきました。大阪~、京都~、東京~鎌倉~、川越~・・・・」 ポロロン、ポロロン、ピアノを奏でながらこんな会話を・・・・そして曲の間には、 音譜春のうららの隅田川・・・音譜「花」を弾いてくれたのです。(ワタクシたち歓迎されているな。)彼は、四六時中、「音(ピアノ)が大きいですか?」とか 「この曲知っていますか?」などと言いながら、我々を気遣ってくれたのです。それにしても流暢な日本語です。

  manbeeのアンティーク日記-店内の様子

 客は次々に席に付きました。・・・・と突然、中央のテーブルに座っていた5~6人の男女が、お酒を片手に歌い始めたのです。舞台はなく、一見お客が歌い始めたのかもと見間違うほど~どうやら、これがラパン・アジルのスタイルのようでありました。薄暗い店内で聴ける歌は、あのピアフたちが歌った昔なつかしいオールドシャンソン~manbeeの知っている歌と言えば「オー・シャンゼリーゼ」ぐらいなものでしたが、歌詞は知らなくても古きよき時代の味わいが感じられました。

 「さくらんぼのリキュール」をなめながら聴き入るmanbeeたちを楽しませてくれたのは、一見ごく普通の年配の男女5~6名ほど~愛の歌や人生を語る歌には相応しい年齢です。画像の女性は、ヴィエルという古楽器を弾きながら、古謡を歌ってくれたのでしょう。manbeeには、初めて聴く歌でした。初めて見たヴィエルという楽器は、ハンドルを手で廻しながら弦をかき鳴らす構造になっているそうです。箱型手風琴といったところでしょうかね~

 あっという間の2時間でした。営業時間は深夜2:00までだそうですが、そろそろ終電車が気になる時刻となり、ころあいを見て席を立ちました。入り口でコートを受け取っていると、ピアニストの彼も出てきてくれて、帰る交通手段を説明してくれたのです。「坂を下ると、角に車タクシー乗り場がありますよ。少し行けば、地下鉄メトロです~さよならね~」「さよなら~ Thank you 」「オール・ヴォア~」

 manbeeたちは、いつまでも去りがたい心地よさを感じながら「ラパン・アジル(跳ねうさぎ)」を後にしたのでした。


 日本へ帰っても「オ・ラパン・アジル」の思い出は、我々一行に温かい眼差しを向けてくれたピアニストの彼と重なって忘れられませんでした。小柄でおん年80歳前後でありましょうか。スカッとしていて、いい年齢の重ね方をしていると感じさせるムッシュであります。過日、ネットで検索してみると、「オ・ラパン・アジル」のファンは多く、何度も日本に招聘しているという記事がありました。(それで日本語が堪能なんだ・・・)そして、我々を魅了したピアニストの名前がジルベール・カスカレス氏であることも~その記事の中で「オ・ラパン・アジル」一行の通訳をしたという筆者は、

  ショービジネスの住人たちとはまた違った信念を持つ歌手たちが存在し、活動するシャンソン・フランセー

 ズの世界は広く、豊かなものだとその時つくづく思った。

と結んでいますが、その一端をかいま見ることが出来たのは幸運だったと思います。

                                       2008、 12、 30