執着とは、そこにとどまろうとする心。
無明とは、現実を見ようとしない心。
煩悩とは、渇愛であり悟りを阻害する心。
この執着、無明、煩悩は自分の事が中心で
他の人を利用しながら、
生きている人たちの心そのものです。
しかしこの心は誰もが多かれ少なかれ
持っています。
物事は、常に変化し無常です。
上がったものは下がる。
下がったものは上がる時がくる。
その無常の中で現実を思い知らされる。
そして、我れ先にの
生き方をしていると、
打ちのめされる時が必ず来ます。
まさしく「苦」の状態です。
ここではじめて、現実を受け入れ、
自分の渇愛(煩悩)に気づかされ、
内的な自覚によって智慧を得て、
はじめて悟りに向かう道が見えるのです。
悟りは根本には慈悲をともない、
自分も相手も大切にする心そのものです。
その大切にした相手を自分の姿と観る。
自分も他人も同じ『自他不二』の心を持つ。
人を助ければ、自分を助けた事になる。
そのうえで智慧を得る事を悟りと言うのです。
と私は師に教えて頂きました。
(写真はganrefより。
仏教の教えと心理学で運命をデザインする