1年たちました | つんこのブログ(肺がん&脳転移 闘病日記)

つんこのブログ(肺がん&脳転移 闘病日記)

脳出血のため左半身麻痺、重度障害者の妻。2014年10月、小細胞肺がんが脳転移した状態で見つかりました。
2017年2月に亡くなるまでの2年余り、山あり谷ありの日々。悲しいことだけではなく、楽しいこともいっぱい!
私が記録したメモや記憶をブログに綴っていきます。

今日は妻の命日。

2017年2月7日14時17分に息を引きとった。

亡くなる2日前から、口からの飲食が出来なくなり、最低限の生食だけを点滴していた。

でも亡くなる前日は多くの時間、眼を開けていて、たまに眼を動かしてキョロキョロしていた。

しかし、もう僕や娘のことはわかっていないようだった。

亡くなる当日の朝のバイタルは、脈拍数と呼吸数が多め、血圧がやや低めだった。

ただし、それほど悪い状態ではなかったので、今日も昨日と同じような日になるだろう、と僕は思っていた。

いつものように娘を駅まで送っていき、スーパーとドラッグストアーで買い物して、約1時間後の11時に帰宅した。

特に変わった様子はない。

そのまま片付けや洗濯をしていたら、リビングの方から声が聞こえた。

妻が久しぶりに何か言ってるのかな、と思った。しかし、それは妻の「あえぎ声」だった。

「アッ、アッ、アッ・・・」

2秒に1回の間隔であえいでいる。

僕はすぐに、妻が最期に近づいていると思った。

12時半、訪看さんに連絡。娘と息子にも連絡した。

僕は「ママ!」と何回も叫んだ。

妻はあえぎ続けている。

訪看さんが到着。今夜が峠と言う。

足の甲にチアノーゼが出始めている。

訪看さんは、妻がタンがからみ、ゼロゼロと苦しんでいるので、吸引器を取りに出ていった。

30分後に吸引器を持って、訪看さんが戻ってきた。

さっそく吸引開始するが、喉のタンは吸引できても、気管のタンは吸引できなかったので、諦めた。

しばらくの間、訪看さんが居てくれたが、大きな変化はないので、何かあれば連絡して、といったん帰った。

14時。「アッ・・、アッ・・」の声の間隔があいてきた。

眼も虚ろに半開き。

子供達はまだ帰って来ない。

僕は子供達のために、ビデオを撮ることにした。

死が近づいている妻に、タブレットのカメラを向ける。

僕はタブレットの画面を通して妻を見る。

苦しそうな息をしている。

呼吸数が1分間に約7~8回に減少。

「アッ、アッ」が「アー、アー」に変わった。

血圧も70~80台に下がる。

まつげに触るも、反応がない。

訪看さんに連絡する。

瞬く間にバイタルが悪化し、魚がアップアップしているような呼吸になる。

これが下顎呼吸なんだろうか。

「ママ、死んじゃうのか」

僕は泣きながらカメラを向ける。

14時17分、最後の呼吸。

「アーッ・・・」と言って静かになる。

妻の瞳から一筋の涙。

ペンライトを眼にあてる。反応なし。

妻は59歳の生涯を閉じた。

肺がん&脳転移が判明してからの闘病期間は、2年3ヶ月間。

ママはよく頑張った。