わたしにとってのがんとは
2018年3月末にわたしは大切な友人のひとりを亡くしました。乳がんで余命宣告をされていた彼女とわたしは出会ってすぐに意気投合して多くの時をともに過ごしました。2016年の夏わたしが股関節の手術で長期入院したときも彼女は毎回美味しいフルーツを食べやすいようにカットして届けてくれました。セラピストでもある彼女はわたしの足にそれはそれは丁寧にマッサージを施してくれたこともあります。彼女自身抗がん剤の副作用で左腕がパンパンに腫れ上がっているというのにそんなことを全く氣にする様子もなくわたしの足をやさしくマッサージしてくれていました。抗がん剤治療による副作用で外出が難しい日もありましたが、体調がよくなると必ずと言っていいほどわたしのいる病院に足を運んでくれていました。彼女はがんばり屋さんですばらしいこころづかいのひとでした。だからこそ自分のことでひとに心配をかけまいといつも笑っていました。でもきっとこころが泣いている時もあったのでしょう。わたしのまえではよく泣いていました。直面している「死」を思いひどく落ち込み涙する姿も覚えています。他の人には見せられないけどわたしには見てほしい、、と言ってがん細胞が皮膚を突き破ってごろごろとした岩のようになっている胸を見せてくれたこともありました。とても痛々しくて「いたくない?」ときくと患部を覆っているガーゼが引っ付いてしまって痛いこともあると言っていました。彼女はとても行動力のある女性で自分が素晴らしいと思った人にはすぐ会いにいくしワークショップを主催したりもしていました。わたしが初めてキールタンの会を主催したい!と挑戦したときもさまざまなイベントを主催した経験のある彼女がさりげなくサポートをしてくれてどれだけ心強かったか。ほんとうに彼女にはたくさんたくさん助けてもらいました。たくさん話をしておたがいの成長を祝福しあってある時は支え合っていました。ある日そんな彼女のがんのことを知ったわたしの友人が彼女とわたしをある講演会に誘ってくれました。それは免疫学の権威と言われる安保徹先生の講演会でした。2016年4月はじめて拝見した安保徹先生はにこやかで ほがらかユーモアにあふれた人でした。詳しい内容は忘れてしまったし記憶もあいまいで話していた内容はさだかではないけれど、、、わたしのなかで覚えている言葉があります。(わたしの記憶なので、実際はまちがっているかもしれません。興味のある方は安保先生の書籍を読んでみてください)それは「がんていうのはね、がんばり病なんだよ だから生き方を変えたら 治る」という言葉。衝撃的でもあるし同時に何というか、わたしにとっては「やっぱりそうなんだね!」ととっても納得もした言葉でもありました。他にも安保先生は「がんばりすぎると体温が下がる。 体温が下がるとがんが元気になる。 だからゆったりして 体温があがると がんは自然にはがれてとれる。 そういう話をしたら 末期がんの患者さんで 実行した人がいて、 ある日 便に混ざって がんが出てきたと言って もってくるんです。 先生みてくださいって。 そんなの 本人は うれしいかもしれないですけど わたしは特に 見たくもないんだけどねぇ (笑)」みたいな話をしていて、その彼女と二人で「へえ~そうなのかぁ~」と目をまん丸にしたのを思いだします。(何度も言いますが、この記憶もわたしだけのものかもしれません)そんなことがあってその日からわたしにとってがん はなおるものであるとインプットされたのでした。大好きだったその友人はあの日から2年後に身体を離れることになるのですがやっぱりそれはかわらずわたしのなかに残っています。がんはなおる。そしてなおらないこともある。そしてそのどちらにも優劣はない、とわたしは思います。なおったからすごいわけでもないし、なおらなかったからわるいわけでもない。がんがどうなるか、ということよりもたったいまこの瞬間いのちを生きたという事実だけで充分じゃないか、と思うのです。※少し長くなったので次回に続きます。