抗がん剤治療についてわたしが決めた最終結論
息子と話したことでようやく真剣に「生きる」と決めたわたしは電話で話していた息子に涙ながらに「抗がん剤治療受けるわ」と言いました。その時はそれが「生きるため」に最善だと思えたからです。「生きる」と決めたわたしはじゃあ今後のわたしに何が必要なのかな、と考えAmazonで氣になる本を数冊購入しました。何冊か購入したなかでわたしがいいな、と思ったのがこの2冊でした。人がガンになるたった2つの条件 (講談社+α文庫)Amazon(アマゾン)302〜2,779円がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことAmazon(アマゾン)725〜5,634円数年前に縁あって亡くなるちょっと前の安保徹さんの講演会に行っていました。その時の記事がこちら『わたしにとってのがんとは』2018年3月末にわたしは大切な友人のひとりを亡くしました。乳がんで余命宣告をされていた彼女とわたしは出会ってすぐに意気投合して多くの時をともに過…ameblo.jpその安保さんの本。読んでみて、なんだかやっぱりあの時の氣もちが蘇り、わたしは抗がん剤治療はしない、という結論になりました。がんはわたしに今の生き方、ズレてない?と教えてくれるためのもののような氣がしたのです。だとしたら抗がん剤をすることよりも今のわたしの生き方を見直すことの方がよっぽど大切なんじゃないか、とそう感じたのです。「生きる」そして「抗がん剤治療はしない」そう決めました。そして2020年6月23日退院後初の外来にて診察。今日でちょうど術後3週間。診察を待つ間椅子に座っていること自体がとても痛くてしんどくて仕方ない。(お尻をくり抜いて縫っているため)今日はとても混んでいてなかなか順番が来ない…椅子の上でゴロンと横になりたいキモチを押さえてそこに座る。時々立ち上がってうろうろしては座りなおす。泣きたいような氣もちでどうしようもなくただひたすらに待つ時間を耐えていました。ようやく呼ばれ主治医にお尻の調子などを診てもらっている時に「そういえば、あれ(抗がん剤) どうすることにした〜?」と聞かれ、「え?いま お尻見られながら? 恥ずかしいから 目見て話したいんですけど」と言いながら「抗がん剤治療は しないことにしました」と伝えました。「そっか。わかったご家族の方もみんなそれでいいって言ってる?」と医師に聞かれ、わたしは半泣きになりながら「いや、子どもたちはいいって 言ってるけど 両親は違うかもしれません」とかなんとか話したような氣がするのですが、詳細はあまり覚えていません。わたしは「先生、せっかく勧めてくれたのに、 ごめんなさい」というようなことも言ったような氣がします。医師は「そんなん氣にせんでいいよ」と言っていたように思います。息子にも娘にも伝えました。息子も「そう決めたんならいいんじゃない」と言っていましたし、娘も「それでいいと思う」と言ってくれました。わたしの中で抗がん剤治療をしないことはよりよく今を生きるための選択でした。(がんの治療については いろんな考えがあると思います そのどれも否定もしません あくまでその時感じた わたし個人の考えです)両親からは今後どうしていくのかわたしがどう考えているのかを子どもたちにしっかり説明するように、と言われていましたが、そんなことはとっくに話しているので次は両親に話す時なのかな、と思い、別日に改めて話をしに行きました。できれば両親に安保徹先生の本を読んでもらえたらわたしが抗がん剤治療をしないという考えに至った理由が理解しやすいかもしれないな、と思ったので本も持って行きました。この本を読んでわたしは自分の生き方について見直してみたい、と感じたんだよね、だからわたしは抗がん剤治療はしないで自分にできることはなんなのか改めて見つめてみたい、と話すつもりでした。わたしが決めた生き方にどんな反応が返ってくるのかかなり緊張もしていました。わたしが何かを話すたびによく父に言われていた言葉「お前はほんとにバカだな」わたしは世間知らずで常識はずれなことをよく言っていたのかもしれません。だとしてもその言葉はわたしの心の奥に傷となってずっと残っています。だから特に父と何か話すときにはとても緊張するのです。何か言われたらどうしよう、、と思うと同時にいや、わたしの人生だ、なんと言われようともわたしの好きにするぞ、とも思っていました。それでも心の奥ではわたしが出した結論を理解して欲しいし、たとえ理解はできなかったとしても、わたしの出した結論を尊重して応援してくれることを期待していました。つづく…