「家族」と「居場所」と | 倭姫衣〜まなのあつこ〜

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機織りを通して、縦と横そのどちらもあるからある世界観を表現しています

昨日
春にやろうと前々から決まっていた、身内への私たちの結婚報告の食事会がありました。

ここにくるまでの日々でいろんなことがあったのだけど、

両親、娘、叔父叔母、兄弟みんなに祝福されて私はなんと受け入れられ、許されているのかと、感じた1日でした。


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明けて今日は実家の父母と島を巡り、あんなに山歩きが大好きで健脚が自慢だった父がこんなに歩けなくなっちゃったんだってちょっとさびしくもなり。

それでも父のこころがだんだんおだやかに丸くなってるのを感じてうれしくなり。

父は佐久島がとても気に入ったようで。
ふみくんに車であちこち連れて行ってもらってご機嫌でした。

両親がまだ元気なうちに佐久島に来てもらえてよかったなと。

またひとつ、私のとても深いところの何かが解けたような感覚でした。

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思えば、この2ヶ月ほど。
「家族」を通していろんなことを教えてもらった日々だったように思います。

家族。って
実は私にとっては苦手なところだったように思う。

いつもどこかでみんなが私のことを否定してるように感じていた気もするし
だからみんなの顔色を伺ってないといけない場所だったし。
なんだかとても窮屈で居づらかった。

「居場所がない」
だから誰からも責められない安らげる私の居場所が欲しい。

いつもそう思って生きて来たように思います。

だけど「居場所がない」と思っていると
果てしなく居場所はないわけで。

本当はどこにいても私は「いていい」のでしょう。

「いていい」
「存在していていい」

などどいう当たり前すぎることを
自分に許可できてないと

それはかなり苦しい。

自分の中で、ラスボス的に私を苦しめていたのは
「存在していていい」という許可を自分にしてあげることだったように思います。

ラスボスは、
父でもなく母でもなく
私であったのかもしれません。

ラスボスがいなくなり
私はますます子ども化が進みそうです。

だって、本当はそうしたかったんだもん。
ずっと。


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