初めての過呼吸発作と、初めての彼氏 | 精神病ですが子育てしてます

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うつ病とパニック障害で何もできない40代。
上の子は社会人、下の子は1歳。不妊治療の末、年の差姉妹の母してます。

初めての過呼吸は高校生の頃。
過食嘔吐を繰り返していた頃です。

いつものように指を喉の奥に入れて吐き出していると、吐き気が治まらない。
吐くのを止めたくても嗚咽が止まらない。
涙が出てきてますます気分が悪くなる。

救急車を呼ぶべきか・・
携帯を手に取ろうと思っても、手が動きません。
しだいに手も足も痺れて動かなくなりました。

「終わらない・・・
このまま逝くのか・・・」

その後は救急に着くまで記憶が曖昧です。
口に何か付けられて、点滴をされていました。

そこで過呼吸発作という言葉も、自律神経という言葉も初めて聞きました。
そこから何度か神経内科に通うことになります。

学校では相変わらず話す相手もいない毎日。




数ヶ月して、小遣い稼ぎにアルバイトを始めました。
学校に許可を取って、ファミレスでのアルバイト。

そこでは同じように学校に行きたくなくて退学して働いてる人、働きながら専門学校に通っている人もいて、とても居心地が良い場所でした。

学校が休みの日や放課後は、時間いっぱいシフトを入れてもらいます。

「ななちゃん、この日の出勤お願いできる?」

私は生まれて初めて必要とされていると感じ、とても嬉しく思いました。

さらにそのバイト先の年上の先輩に初めて
「好き」
という言葉を言われます。
初めてできた彼氏でした。

それからはもう、学校よりもアルバイトと彼氏が優先の生活になっていました。
学校は休みがちになり、毎日のように彼と一緒にいました。



「せっかく手に入れた幸せを逃したくない!」

彼に嫌われないためには、ずっと一緒にいるためにはどうしたらいい?
考えれば考えるほど分からなくなります。

言葉だけでは何の保証もない。

愛情表現の仕方が分からなかった私が出した答えが、
「モノとカネ」。

これがあればずっと一緒にいられる、そう思っていました。



とはいえ、高校生のアルバイト。
収入にも限界があります。

彼の誕生日が近付き、何か高価な物をプレゼントしたいと考えました。

そこで、今で言う「パパ活」を知ることになります。
「パパ活」と言えば響きがマシかもしれませんが、いわゆる「売り」「援交」でした。

罪悪感も全くないままに、ただただ彼と一緒にいたいがために、こんなことに手を出してしまいました。








また続き書きます(^_^ゞ