聖書では何もないところを神が漂っていて「光があるように」という言葉から天と地は創造されたと書いてありますが、
私が習った学校の進化論でも光が起きるところから全ては始まったと習いました🌞🪐🌎️🌝
最近は太陽系から冥王星が外れたというソースもありましたが。。
前提として創造論は創造論として確立しているもので、聖書ではエビデンスや理論関係なく「(神を)見ずに信じるものは幸い」だと書いてあります📖
そして進化論も刻々と変わる科学の常識から見た宇宙や地球や生き物について視点がまた全く別のものです🌎️
最近は量子力学という理論も出てきたようで、それは主に進化論を説明するためのひとつのエビデンスらしいですが、この世の全ては素粒子でできていると言う論理であり、生命大躍進時代に何とも比喩し難い生き物が出てきたりするユニークなものでした🩻
なんだけどっ
私がずっと調べながら考えていることは聖書の信憑性です📖
以前も書きましたが研究者だった姉の元夫は「この世の全ては確率でできている」と言っていました∝%π
その義理の兄が亡くなってからずっと聖書、特に天地創造と確率について考えて過ごしてます
クリスチャンの間でよく言われているのは、この世の植物や生物の品種改良はできても種子そのものを新たに作り出すことはできていないこと。
もう息子が生まれた頃くらい前の記事ですが、薔薇の種の一部の遺伝子を凍結させたら青い薔薇を咲かせることに成功したとNEWSで読みました。
人には新たな生物を生み出すことや、またそれらの生命が遺伝子をつないでゆく仕組みまで造り出すのはやはり難しいことですし、
もし実験として小さな宇宙空間のような環境を作ることができても、そこに生命を生み出すことはきっと不可能と思います
前提として神の造られたもの〈種〉とその法則が働いている以外にはやはり考えにくい🦋🏵️🦜🌿
以前聞いた預言者さんのお話では、性能の良いカメラについて、ひとつの箱の中にカメラの部品を入れて何千回、何万回振っても、性能の良いカメラができることはないと話していました📸
人の眼球とピント調節機能は性能の良いカメラを遥かに上回る性能のもので、やはり計画的な設計図や完成図が前提にあって、人より高度な知能の計画やデザインによって造られているよねと盛り上がったこともありました👁️
そして聖書の黙示録のように、宇宙や地球など形あるものにもいつか終わりが来ると〈太陽が膨張し周辺の星々を呑み込んで終わってしまう〉2000年前の人がよく分かったなぁと不思議に思います(・・?
私の調べ物の多くは礼拝のメッセージやインターネットでのSearchや、研究と言っても専門書を読んだり動画の情報と照らし合わせるものなので、やはりまだまだ調べることは多く計り知れないなぁと実感してます(๑•﹏•)
星々はなんで球体なのか。。など、時々子育てや趣味の話題を挟みながら綴って行きます
読んで下さりありがとうございます