看護師さんの言葉 | mayoの徒然日記

mayoの徒然日記

はじめまして。
mayoです。

2012年9月7日に愛するパパが7年間の闘病の末に天国へ旅立ちました。
さとう式リンパケアに出会い、誰でも楽な身体を手に入れられることを1人でも多くの方にお届けしたいと思い日々精進してます^ - ^




先日、ママ友のYちゃんが
リンパドレナージュの体験に
来てくれました。

一時間半の施術の間に
いろんな話をしました。

彼女は看護師さんです。
そして、偶然にもパパのお世話になった
病院にお勤めです。

パパが術後五年半経て再発して、
大学病院から紹介された
二つ目の病院でした。

腫瘍内科、という科にお世話になり
抗がん剤治療を頑張っていましたが
昨年の四月に腸閉塞になりました。

二ヶ月の入院期間も
担当の病棟は違ってましたが
パパのことを気にかけてくれて、
顔を見に来てくれたり、
不安な私の気持ちを聞いてくれたりして
すごく支えになってくれました。

末期の状態になると言われて
パパにはそのことは伏せて
私たちは自宅療養を選びました。

病院にはいたくない、
家に帰りたい。
パパの希望でした。


末期の痛みは
本人にしかわからない
辛さだっただろうと思います。

「痛い、辛い。助けて。」

そう言われる度に
ただ側にいて手を握ったり
どこかをさすったり
何もしてあげられないことに
苦しい思いを抱えていました。

病院には、緩和ケア外来はありましたが
緩和ケア病棟はなかったので
家族の心のケアまではできなかったし
そもそも家族は各々で自分の心のケアを
するものだと私は思っていました。

Yちゃんは、
「患者さんや患者さんの家族の心に
寄り添うことも大事なんだけど
そういうのは緩和ケア病棟、
いわゆるホスピスでしかできないんだよね。
その現場の看護師も患者さんに
救いを求められたら怖くなって
逃げたくなっちゃうんだよ。

だから、mayoちゃんは
ほんとにすごかったと思うよ。」


私はできるだけのことはやった、
と思いながらもどこかで
ほんとに最善尽くせてたかな?
とふと思う時があります。

でも、Yちゃんのこの言葉に
また救われました。

そうそう、逃げたしたいなんて
思わなかったもの。

パパと一緒にいれる時間を
その一瞬一瞬が全てだったから
その時のよかったを探して
お互いに毎日を感謝して
「ありがとう」と言い合ってすごせたもの。


パパも私も幸せな時間だったよね。


昨年の今頃は
入院したばかりで桜を楽しむ余裕はなくて
毎日病院に通っていました。


二人で過ごしたカーテンの中の
狭い空間。

テレビを見て
人工肛門造作手術までは
パパは一切食べられなかったので
私だけお昼食べて
会話して
マッサージして
昼寝して。


そんな毎日だったけど、
なんだか懐かしく感じます。
楽しかったよね。
一日くらい休んでいいよ、と
言いながらも
「ごめん、やっぱり毎日そばにいて。」
と素直だったパパ。

なんだか今日は入院してた頃のことばかり
思い出しては涙が出ます。



看護師さんの言葉って
ほんとにちょっとした一言でも安心できます。
すごいなぁ。


Yちゃんがいてくれてよかった。


ありがとう。




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